
答えを知っている
その瞳は海と同じ、とても深い青だったことをよく覚えている。
バタバタと長く広い廊下を走る音はよく響き、漏れる吐息すらも響いているのではと思う。旅先から帰還したと聞いた人物を探して歩いているのだがまったくをもってその姿がどこにもない。
叡智が集まった都市アーモロートに帰ってこれば十四人委員会にその報告を提出し、エーテルの異変はないかとお決まりの検査を受ける。都市の外に出ればいくら平和で穏やかな星とは言え、何が起こるかわからない。旅から帰れば皆同じようにエーテルの循環に異常がないかを調べることになっていた。もし何かあれば適切な処置をし、体を休めることもあった。
それをしないという例外は我々十四人委員会にはない。
そう、ないはずなのだ。
ところが彼は帰還したはずの連絡を受けているのにそこにいないのだ。
「ああ、確か後で受けると言っていましたよ」と、医務院の者は言っていた。
後で受けるとはどういうつもりだと、白髪の男は盛大なため息を吐きながら憤慨していた。
彼のエーテルに乱れも穢れもないことは【視えている】から問題はないだろうが、それでも形としてしなければ星を護る職務としてはだめだろうと真面目に、いや正当に考えているというもの。
知っている男のエーテルの残滓はそこらへんに散らばっており探しても手遅れでどこにもいない。
「あの馬鹿は帰ってきてどこに行っているんだっ」
何度目かになる一人事を吐き捨てながら歩き、どこに行ったか知っていそうな奴のところに行くことを決める。
大体自分の知らないところで奴が何かしているのを知っているのは悪友である創造物管理局局長のヒュトロダエウスぐらいだ。もう一人のその彼も、悪友と呼べる友ではあったが白髪の彼、エメトセルクにとっては特別な存在だった。
いくつかの扉を開き大股でヒュトロダエウスの仕事部屋の扉を声も掛けずに大きな音を立てて開ける。
「アゼムはいるか!」
探し人の名前を叫びながらその部屋に飛び入ると部屋の主は彼がここにやってくることをわかっていたかのように澄ました顔をして、「やあ」と呑気で少し甲高い声で返事をした。
亜麻色をした柔らかい髪を緩く片方で三つ編みをして仮面をつけていてもその表情は優し気ということがわかるほどの雰囲気をもった青年だ。それとは対照的に怒鳴りながら入ってきたエメトセルクは色白で髪も白髪でいつも眉間に皺を寄せ、唇も尖り曲がり、生真面目そうな面持ちである。
冗談、というものは大嫌いだとよく言っていう口はまたアゼムはどこに行った、とイライラした低めの声で唸った。
素顔が赤い仮面に隠れていても威圧なエーテルの波に、廊下ですれ違った者たちは顔を合わせてどうしたんだろうか、と心配していただろう。というか大概の者たちは、またアゼム様か、とも苦笑いしていた。
エメトセルク様を困らせるのはいつもアゼム様だと。
「ヒュトロダエウス、アゼムを知っているだろうあいつはどこに行った」
隠したって無駄だぞ、とヒュトロダエウスの前まで進むと指を指して言った。自分よりよく【視える】という彼ならばあいつがどこで何をしてフラフラしているのかわかるだろう、というかあいつはここにきてどうせエメトセルクには内緒にしてくれとか言った行ったのだろう。
ヒュロトダエウスは白い仮面を外すと肩を竦めて笑った。その双眸は髪色と似て紫と薄い赤も混ぜてできたような菖蒲色が発光しているようだった。
「まぁ、キミに嘘を言ったところでどうせすぐにバレるだろうしアゼムだってキミがカンカンに怒って追いかけてくることぐらい知ってるだろうしね、うん」
「ならさっさとあの馬鹿がどこに行ったか教えろ、あの馬鹿は自由すぎるんだ」
ゆっくりした滑らかな口調で答えるヒュトロダエウスとは違いエメトセルクは畳みかけるように早口で愚痴を言うとまたヒュトロダエウスは肩を竦めた。
「まぁまぁ、そんなに怒らないであげてよ。というかワタシたちの方に彼は怒っているみたいだったよ?」
そうクスクスと笑いながら言うのを見てどういう意味だとエメトセルクは首を傾げた。
そこは地上の美しさとは違う光景だった。
壮麗なる庭エルピスの玄関、プロピュライオンに辿り着くとエメトセルクは早々に仮面を外した。
創造動物たちの実験場であるこの空中の箱庭は研究のための場所ではあったがここに休暇を過ごしに来る者もいるだろう。基本は害のない創造動物たちが生活をしているが、一部の獰猛な動物は区域で管理されているため比較的許可を得た者たちが出入りできる場所だった。
またここの職員たちは慣れているが外から来た者たちは視野を広くしておかないとどこで創造動物たちを遭遇し万が一危険が及ぶといけないため仮面を外すことになっている。もちろんエメトセルクも然り、その規則に従う。
しかし彼の顔色と言えばとてもよろしくない。
これでもかと思うほどに眉間に皺を寄せて唇はぎゅっとへの字を描き明らかに不機嫌であるという表情をしてた。
これでも静かに佇んでいればホリの深い顔立ちと眩い金色の瞳には淑女たちに一目置かれるような男性と言えるだろう。その顔は今、たった一人のやんちゃな行動のせいで逆に近寄りがたいほどに眉が吊り上がっている。
ヒュトロダエウスにアゼムはどこに行ったのか問えばエルピスだと言った。どうしてエルピスなんか行ったんだと聞けば我々のせいだと言う。
先日、新しいファダニエルの座を継ぐことになるだろう男ヘルメスの仕事ぶりを見に仕事として二人でエルピスを訪れたことがどうも気にいらなかったらしい。
「二人はどうして俺がいない時にそんな面白いところに行くんだ、ずるいじゃないか、なんで俺が帰ってくるのを待ってくれなかったんだ」
そうヒュトロダエウスにだらだらと文句を垂れていたらしい。
お悩み相談受付の座であるアゼムは研究職というものには向いていない。体を動かして実践して解決する方が好きだと山積みになった本に埋もれる苦手とした。そんなアゼムが創造動物の研究のための庭エルピスに出入りすることなどなかった。
だが興味がなかったわけではない。
常々ラハブレアの幻想動物の話やミトロンの水棲生物学も面白がって聞いていたのだ。なんにでも興味を示してやってみたい、みてみたいと思う願望が強かった。
その多大なる興味をやんちゃ、と言わずしてなんと言おうか。
そんな時だ、エメトセルクとヒュトロダエウスがエルピスを訪れたことを知ったのは。
仲の良い二人は自分だけを置いて面白いとこに行ってしまったということが気にいらなかったから一人で行ってくる、と言ってアゼムは飛び出していったらしい。
(あの馬鹿に付ける薬を誰か作ってくれ、本当に、まったく!)
プロピュライオンの重い扉を開けると吹き抜ける風が入ってきて肩まである髪をなびかせた。夕暮れ時のせいか眼前に広がる大きな空が真っ赤に染まっている。
一面に広がるその空は地上からは見えないほど大きく、もっと遠くの宇宙と呼べる天まで見えてしまいそうなほどに丸かった。
広場にいた案内人にアゼムを見なかったか、と聞くと確かにここにいるようでアナグノリス天測園の方に向かったという。
エメトセルクは目を凝らしてアゼムのエーテルを探す。
「まったく、世話に焼けるやつだ」
天測園より東に行くと、汐沫の庭という場所がある。そこでは人々がつかの間に休息を取る憩いの場だった。読書をするもの、昼寝をするもの、創造動物について語り合い者。
大きな天幕が張られ、その下で寄り添う者もいる。一つ上の浮き島レーテー海から流れ落ちる水の音が心地よいものだ。
陽が落ち始め、辺りの電燈に明かりがつき始め空は赤から青へと変化していく。それを眺めなからエメトセルクはアゼムの姿を探す。
どうせあちらもこちらに気付いているのだろう。
隠れているかそれとも堂々としているかだ、と思案しているとその姿は簡単に見つかった。大きな樹木の下にあるベンチに彼は座っていた。
「おい、馬鹿アゼム」
エメトセルクは重たい声でそう名前を呼んだ。
その声に気付いたのかそれとも気付いていたのか、その名前の人はゆっくりと顔を向けて満面の笑みを浮かべた。
その顔に嵌っている蒼い双眸はまるで昼と夜の狭間で光りを帯びたような不思議な蒼だった。
「やっと来てくれたな、遅かったじゃないか」
明朗な声は何の悪気もなく、そう告げる。
まるで自分が探しに来ることも見つけてくれることもすべてわかっているかのような態度にまた一つエメトセルクは腹を立てる。
この男、アゼムはいつもそうだ。
からかっているつもりなのか本気なのか、いつも自分のこと信じ切っている。全部自分の行動を見透かされているよう。出会った時からそうだった。
「お前な、勝手にこんなとこに来て何考えてるんだ」
先にやることをやってから行動しろ、とエメトセルクは頬に触れる真ん中で別けた長めの前髪を掻き上げながら呆れた声で言う。
「だって君たちだけずるいだろ、俺だけ置いて行くなんて」
「し・ご・と・だ!し・ご・と!」
一文字一文字強弱を付けて怒鳴ると彼はアゼムの隣にわざと大きな音を立てて座った。
「遊びでここに来たんじゃない。それに来たいのならきちんと仕事の後処理をしてから申請すればいいだろう」
エメトセルクは腕を組んで目を伏せ、肩を落とす。
別にエルピスは逃げないぞ、とも付け加える。
アゼムは笑ってそうだけど、と言う。
「君はいつも俺を探してくれて見つけてくれるよな」
彼の焦げ茶色の短髪が夜風に揺れる。落とした視線の先に両手の指を絡めて少し力を込めて握った。その言葉には特に意味もないようで、それでいてどこか想いが乗っていたがそれを彼自身も口にすることはなかった。
「お前が危なっかしいからだろ」と、エメトセルクは悪態をついてアゼムの肩を肩で小突いた。
「私がいないとお前はどこで何をしでかすかわからないだろ。もう一人のあいつもだがな」
呆れた嘆息ではあったが嫌ではない、という意識が隠れていた。
飄々としたヒュトロダエウスがいて目を放すとすぐにどこかに行ってしまうアゼムの間に挟まれて怒って呆れて笑うのは口に出しては言わないが心地が良い場所だった。
アゼムは夜濃くなっていく空を見上げて深呼吸をする。
胸いっぱいに入り込むのは冷たい空気と緑と土の匂いだ。
「エメトセルク」
「厭だ」
アゼムが言い切る前にエメトセルクは被せて断りの台詞を吐いて立ち上がる。
「まだ何も言ってないじゃないか」と、アゼムが頬を膨らませながら不満げに言うと彼は振り向いてもう一度、厭だ、と答えた。
「どうせここを案内しろだの言い出すんだろ、お前」
「すごい!正解だよ、エメトセルク!」
彼もベンチから腰を浮かして懇願するようにエメトセルクの前へと踊り出る。
「この上にレーテー海っていう場所があるんだろ?俺そこに行ってみたいんだ!」
厭だと言ったのに勝手に行こう、案内してくれと楽しげに話しかけられて終いには腕を引っ張られる始末だ。
「お前なっ、」
「時間は有限じゃない、効率よく使えってよくエメトセルクは言うだろ?ならせっかくここに君と俺がいるんだから知ってる君が案内するっていうのが一番の方法だと思うんだけどなぁ」
早く、とアゼムにせがまれるとエメトセルクは顔を片手で覆い盛大にため息を吐く。本当にこの男といると何度嘆息したかわならなくなってくる。
さっさとアゼムをアーモロートに連れ帰ってやらなければならないことは山積みだというのに彼の誘いを断ることがエメトセルクには出来なかった。
それは何故か、という答えを本人はもう知っている。
「おい、レーテー海はだめだ。どうせまたお前、私を水に突き落とす気だろ」
そんな苦い悪戯の記憶と共にエメトセルクは口角をあげてそういうと、指を鳴らした。
