
旅人のパレット
旅の終わりと始まりは時に突然に始まり、終着点へとたどり着く。そしてよくこう師に言われたものだった。
旅の善し悪しはあなたが決めるもの。
あなたの旅は良いものでしたか?
と、師は決まって聞くのだ。
もちろん、良いものであったと答えるがすべてが良好というわけではない。それでも良いものだった、と心から言えるようになりたいと思った。
師であるヴェーネスは、すべてを楽しみすべての可能性を信じた。だから己もそうした生涯でありたいと願い、信じ、アゼムの座に就いた。
旅の先に光あれ、といつも旅に出る前に祈ることを忘れない。それは最後の時だって変わらなかった。
「さようならは言わないよ」
そう言って別れを告げた人の顔を思い出すと、彼も当然だと唸るように告げる。しかしその顔はいつもより渋く、眉間のしわが濃く刻まれていた。燃える街の炎は赤く、自分たちを滲ませている。
「旅の終わりは決まってない。だから行くんだ、可能性はいつだってその先にあるものだ」
そう言ってアゼムは最後の親愛なる友に笑って手を振った。
彼もまた彼の旅路があるというもの。それは自分の道とは違えてしまっている。それを押しつけることも否定することもしないのは、自分たちが互いを深く理解しているからだ。 彼にはここでやるべきことがあるが、自分にはここにやるべきことはない。
旅をすることで生きてきた自分の足は、助けを待っている世界のどこかに行くこと。行く先がどこであろうと、必要としている人のところへ行くだけだ。
それが行くべき旅路。消えない足跡。
空が燃えて深紅に染まる世界になってもその旅の行方と心は変わらなかった。それはアゼムとしての宿命からなのか、それとも自身の意思なのか。
きっと持って生まれた魂がお節介好きで面倒事が好きなやっかいな命だからだろう。だからその生を全うすることにした。
人はそれを違う、逃げだ、と罵るのかもしれない。ゾディアークがすべてを解決してくれる。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
数少ない友人たちが自分を嫌いになっていないといいな、とだけ願う。燃えて赤くなる空の下でアゼムは走る。救うべき手の届く限りの力を尽くして。
「さぁ、ここは危ない。こっちにおいで」
焼ける匂いが何の匂いなのかわからない。水は干上がりがれきとなった街並みは昔訪れたことのある美しい景色を変えてしまっていた。どこからか呻き声がする。すすり泣く声も。アゼムは傷だらけの手を一人の子供の手を取り、抱き上げる。どこもかしこも無残な魂たちの叫びが聞こえる、と錯覚しそうだった。エメトセルクでなくても、そう感じるほどに魂の残像は未練を残し生きているものを羨むように、重い空気となって肌に纏わり付くようだ。
ふいに子供は空を見上げ、白い、と呟いた。何のことだろうとアゼムも急ぐ足を止めて仰いだ。
確かにそれは白く目映いて思わず目を細めた。そして同時に黒い影が激突して、光が弾けるともう見ていられないほどにその白は強くなる。
アゼムはなんだかそれが何なのかわかってしまった。
ああ、と悟るように嘆息したがそれは諦めや恐怖ではなかった。
あなたの旅は良いものでしたか?という声が聞こえた気がしてアゼムはどんどんと拡がっていくその光に身体を焦がしていった。
「大丈夫、怖くない。一緒にいるよ」
怯える子供の頭を撫でて、優しい声で語りかける。
燃える赤は冷たくて死の匂いしかしなかったが、この世界を多い焼き付く白はなぜか温かく溶けていくようだった。
旅をすることで自分の生きる意味を持っていた。ここで一つの旅が終着点を迎えるとしても自分はまだ諦めたくなかった。終わりが始まりだ。また新しい旅が始まるだけだ、いつものように。
この旅に光りあれ、と消えていく身体を感じながらアゼム強く瞼を閉じた。
この記憶は確かに自分のものだろう、と走馬灯の過ぎていく景色の中で思った。懐かしい記憶、痛い記憶、最後を迎えるあの日の記憶。
ざぶん、と身体が大きな水に沈んでいるが息は苦しくない。口や鼻から空気の泡が地上に向かって浮かんでいる。泳いで上を目指そうにも、足も手もぴくりとも動かなかった。どんどんと暗く深い蒼い色の底へ沈んでいくが、それを怖いとは思わなかった。
ああ、知っている。
と、魂に刻まれた懐かしさにここがどこかわかってしまった。
夕日のような、朝日のようなその地平線で自分は倒れたのだ。滲んで遠のく意識の中で身体も冷たくなって行く気がした。幾度もそうした経験をしてきたが今回は違うようだ。
海の中にいることなんてなかったし、もっと痛みを感じたがこれは痛みを感じなかった。 旅が終わるんだな、と率直に思った。
悪くない、と思わず動かない頬の筋肉を揺らして笑ったつもりだ。
星に還れば、また懐かしい人に会えるだろうかと最後に見た背中を思い出す。もっと彼らと話したかったのに早い別れだった。彼はアゼムの魂を持つ者なら見ておけと言ったけれど、彼らと一緒に見に行くのもまた一つの旅じゃないだろうか、と深くなっていく海の中で望む。
ふいに薄らと目を開けると、輝く光が自分に向かって飛んできているのが見えてそれらは自分の周りをぐるぐる回って、大きく弾けるとその衝撃で身体が水面へと押しあげられた。
その時、声が聞こえた気がした。これは誰の声だろうか。いつも必死でそれでいて優しい声が呼んでいる。
「この大馬鹿者が」
その水面からの声に気をとられているともう一つ声がした。
馬鹿者と罵る声は呆れたように盛大なため息も交えて。
「キミにはまだ早いよ、ホラ、上を見て」
もう一つ、柔らかい声が背中を押し上げるようにして聞こえた。その声が言うように上を見ると知っている顔が泣き叫びながら名前を呼んでいる。
「すぐに人が言ったことを忘れるな、アゼムの魂を持っているなら見ておけと言っただろう。こんなところまできて面倒をかけるな」
気怠そうにその声は泡と一緒に吐き出すと、さらに背中を押した。どんどんと声が近くなっていき、身体の節々が痛み始める。
「キミの旅はまだ終わっていないよ。待ってる人たちがいるだろう。さぁ、声を聴いて」
「私は二度とごめんだからな、こんな風にお前の旅が終わるのを見るのは」
その声を最後に大きな白い泡が自分をもっと上へと押し上げた。
待ってくれ、と自分とは反対に沈んでいくその二つの泡に手を伸ばすがもう届かない。 最後にもう一つ声が耳の奥に響いた。
「あなたの旅は良いものでしたね、これからもきっとそうでしょう」
慈愛に満ちたその声に、覚醒していく頭の中で自分は大きな声で泣いた。行かないでくれ、と縋りたくなるように子供のように、泣いた。
一万二千年前に突然終わってしまったアゼムの旅は、魂を繋いで今でも続いている。
エメトセルクやヒュトロダエウス、ヴェーネスの旅は終着点を迎えたけれどこの魂はまだ旅を続けたくて仕方ないと泳ぎ出している。
本当は彼らの元に辿り着くことを一瞬でも羨望したが、魂に刻まれた衝動は抑えられない。
そしてまだ自分には生きてほしいと望んでくれる人たちがいることを忘れていけない。
「お前はアゼムだろう。お前の幕はまだ閉じていない」
「キミとまた今度、旅をしたいな」
とん、と最後に押された大きな手らによって揺らめく水面から顔を出すことができるとようやく重たくなっていた眼を開けることができた。
その瞬間のことはよく覚えていない。意識が戻り、誰がどう泣いて名前を呼んでいたのかぐちゃぐちゃだった。
旅は続く、どこまでも。やめようと思わなければそれはどこまでも。
ようやく静かに眠ることができる彼らの旅の終わりを見届け、そして自分はまた新しい一歩を踏み出す明日を見つける。
「おかええりなさい」
泣き腫らした声のその台詞はいつまでも、いつの時でも自分を癒やしてくれる魔法の言葉だ。その言葉がある限り、前へ進むことができるだろう。
拍手喝采されたその旅の祝福とフィナーレを見届けてくれた人たちの旅の果てに、終わりなき旅路を進む冒険者に光りあれ。
