
吐き気がするほど幸福な
さらさらと白と灰色の羽が付いたペンで洋紙に文字を書き綴っていく。誰に宛てているのか、何を想いペンを走らせているのかそれは全て本人のみが知ること。
時折手を止めてウーン、と唸り指で顎を摩りまた書き出す。
字は大して綺麗な方ではない。
一枚書きあがり二枚目にいくと、彼は少し口端を緩めながら楽しそうに珍しくデスクに向かっていた。
窓の外のアーモロートの景色はもうすっかり闇が空を包んでいて静寂が包んでいる。街灯はうっすらと白く色付いて夜を照らしていた。
その時、コンコンと扉を叩く音がした。
音がしてビクッと肩を震わせると彼は慌てて椅子から立ち上がって扉に駆けだしてノブを回して開けると立っているその人を見上げた。
「エメトセルク?珍しいね!」
見上げた視線の先には見知った白髪と金色の瞳を持ったエメトセルクが佇んでいたのだ。いつものように眉間に皺を寄せて部屋の主の青年を見つめて早々にため息を吐く。
「いつも勝手に私の部屋に来ているのはお前の方だからなアゼム」
「ええ、そうかな」
「そうだ」
アゼムのそうかな?という返答に畳みかけるように頷いた。アゼムはエメトセルクに入ってと言いを招き入れる。
エメトセルクの部屋は整理整頓された綺麗な部屋だが、アゼムもまた違った意味で整った部屋だった。
整ったというより、物がない部屋だ。
「相変わらず最低限の部屋だな」
デスク、小さなクローゼット、ベッドと必要最低限の生活用品しか置いていない。それがどういうことなのかはアゼムの座がこの叡智の都市に留まることが少ないからだ。世界を旅することが多くなったためこの部屋で過ごす時間が少なくなり、だんだんと簡素化していった。
まあね、とアゼムは笑う。
それにアーモロートに帰ってきてはエメトセルクの部屋に入り浸っていたりするせいもあるんだろう。
エメトセルクはぐるりと部屋を見渡して、ふとデスクの上に視線を向けた。
「珍しいな、きちんと報告書を書いているのか」
ペンと紙が散らばったデスクを見てほう、と称える声を出してそれを覗こうとするとアゼムは慌ててエメトセルクの前に出て散らったデスクを隠す。
「そ、そうそう!そうです報告書です!」
慌ててその紙をかき集めて乾いた笑いを零す背中を眺めながら何やらおかしい、と気付く。まぁそこまで怪しい動きをされて疑うな、という方が無理だろう。
このアゼムという男は嘘が下手くそなのだ。
「そんなことより何しに来たんだい、君!君からこっちに来るなんて珍しいだろ?」
アゼムは変わらずハハハ、とどこか笑いながら手元に集めた紙を引き出しに仕舞う。
エメトセルクはしかめっ面をしながら、確かにと思いここに来た理由を口にし始める。
「ああ、お前がまた勝手にどこか行く前に先日お前が持ち帰ってきた案件でー」
そこまで言いかけて、彼は視線を足元に落とした。
一枚の紙にふわりと落ちている。アゼムの手からすり抜けたものだろう。それを掬い上げてみると何かが書き途中になっているようだった。
そこの一番最初の行を見て、エメトセルクは首を傾げた。
「私宛の手紙か?これは」
アゼムはその一番知られたくなかった一枚が彼の手に渡ってしまったことに気付いておらず、そして彼からの言葉で最悪のタイミングで見られてしまったことを知ってしまった。
「ああっー-!!!」
アゼムは大声を出してエメトセルクが持っている紙を見ると彼がそこに書かれていることに目を追っているのを見て顔面蒼白になり奪い返そうと手を伸ばす。
最悪だ最悪だ!と内心で焦り、叫んで取り返そうとするがエメトセルクはひょいと頭上にそれを上げてしまい届かない。
「なんだ?アゼム」
にやり、と口端を意地悪く上げて微笑むエメトセルクが今は本当にとてもとんでもなく憎らしい。
「返せ、返せって!」
そう言ってエメトセルクより身長が低い彼は手を伸ばすが余裕で届かない。
「私宛なんだろう?なら構わないだろ」
「そ、そうだけどっ、まだ途中だし!本人目の前にして今読むもんじゃないだろ!」
よっぽど読まれたくないのか蒼白だった顔色は今度は真っ赤にして返せと訴える。
日頃の仕返しだ、と言わんばかりにエメトセルクはくくっと可笑しく笑ってさてどうしてやろうか、と思案する。
しかしそうは思いつつも根は真面目で優しい一面もある彼は本当に困ったりしているアゼムに対して甘い面もある。
そのためこのどうやら私に宛てた手紙を中途半端に今読まれてしまうのは非常に困ることらしい。
しばらくからかってやろうと思ったがエメトセルクは、仕方ないとため息を吐いてアゼムの伸ばす手を取って、
「わかったわかった、返すから暴れるな」
と、喚く彼を落ち着かせた。
そのどさくさに紛れて自分より細い腰を抱いてはいたが本人は気にしていないらしい。
手渡された紙を取ると、すぐさまそれを丸めてローブのポケットへ突っ込んでしまう。雑な扱いをされてまだ書き途中だったんだろ?と聞くと、書き直すからいい!、と言ってアゼムは胸を撫で下ろしてコホンと咳払いをした。
もうここで見られたのなら今話そうが後で言おうが関係ないか、と開き直ることにする。
そうした思考の転換や前向きに物事を考えるのはアゼムのいいところの一つでもあった。
「これはほら、ちょっとやってみたいことがあって」
本当は黙っていようと思ったんだ、とアゼムはベッドの端へと座り込みながら言う。それにエメトセルクの視線はこれが何のための手紙なのかどうしてそんなことをしているのかと訴えていてこれはもう話さないときっと離してくれないだろう。
観念したアゼムは話し始める。
けれどこの話は内緒にしておくものではなく一つの楽しい提案だ。逆にこんな面白そうなことを黙っておく方がアゼムには苦だった。
「タイムカプセルって知ってるかい?」
ぱっと上がった顔は先ほどとは違いとても明るくわくわくと好奇心に満ちた色だった。
それは先日終えた旅路の途中のことだ。
子供たちが地面を掘り、そこに何かを埋めていることを見たんだとアゼムの隣に座ったエメトセルクに嬉しそうに話す。
「その子たちに何をしているのか聞いたら、自分の大切なものや手紙を埋めるって言うんだ。そんなことをして何になるんだ?と聞いたら、未来の自分たちに宛てた手紙や思い出だと言うんだ」
それを何年か先の自分たちが掘り起こして思い出を懐かしむ。
手紙は将来の自分へ、友へ、家族へと届ける。
アゼムはそれを聞いて面白そうだ!と実直に思ったのだ。これはやってみたいと。
それでまずは手紙を書こうと思ったのだ。未来の自分、そしてエメトセルク、ヒュトロダエウスに他の仲間たち。
「そして何年か先に俺たちがまたそれを覚えておいて開けるのさ!もちろん俺だけじゃなくて君もヒュトロダエウスも書いてさ」
「なんで私も一緒なんだ」
いつもの通りアゼムがいればやればエメトセルクもセットだ。勝手に組み込まれているタイムカプセル計画に息が漏れる。
それでさっきその手紙を書いていたという。先に自分自身、その後にエメトセルク。
そしたら君がここにやってきたのさ、とアゼムは笑った。
「いいだろ?面白そうじゃないか」
きっとヒュトロダエウスは嬉々として参加してくれるぞ、と言うとまさにそんな顔が浮かんできてもう一度めんどくさそうにエメトセルクはため息を吐くことになる。
「そんなものなくても覚えていられるし、なくたってこの悠久の時間も変わらんだろ」
自分たち、人は非常に優秀な知恵ある命だ。
幼い頃の記憶も覚えているし青年期のことだって記憶から消えるわけではない。それに星に還ったとしてもそれは美しく有終の最期だ。
そんな手紙など残したところで今後の自分は変わらないしアゼムもヒュトロダエウスも世界も何も変わらないのだ。
エメトセルクにはその面白さ、はわからなかった。が、アゼムのそうした遊びに付き合ってあげるのもまた彼の優しさだ。
厭だ、めんどくさいと言いながらも彼はアゼムにまっすぐに捉えて応えてくれる。
アゼムもエメトセルクはそう言いながらも自分に付き合ってくれると知っている確信犯だ。それがまた厄介なのだがエメトセルクもアゼムにお願いをされると弱いのが難点だ。
「で、お前は私に何を書いていたんだ?」
にやりと笑って片眉を上げてアゼムの顔を覗き込むと、頬に息がかかりエメトセルクの髪が触れた。
アゼムの肩は驚きと問いの焦りに、えーと、と見つめてくる視線から逃れようとした。
「それは秘密だよ、今言ってしまったらつまらないだろ」
「私は構わんぞ」
エメトセルクの大きな手が頬に触れて耳たぶに指が当たるとと、カッと顔の熱が上がる。反対に彼の手は冷たかった。
「こ、これは内緒にするからいいんだって!話したらつまらないじゃないか」
アゼムは意図的に触れてくる彼の手を掃うが、腰を引き寄せられてそのままベッドへと押し倒されてしまう。
ふわっと、と焦げ茶の髪が舞って重力に落ちていく。
「仕方のない奴だな」
言わないと言ったら言わない性格だ。聞き出そうとしても頑として言わないだろう。
「未来の私に何を書くのか、これはこれは楽しみだな」
さきほどの紙にはまだ宛名と、少しの当たり障りのない文しか書かれていなかった。
アゼムは一体、何年先にこれを開封つもりなのか。何をこの紙切れに想いを綴るのか。
「それは君も一緒だ。俺に何を書き残してくれるのかな」
アゼムはくすくすと目を細めて笑うと見下ろす月色の瞳に微笑んだ。
「愛してるの一筆は欲しいな」
「馬鹿を言え」
何を言うかと思えば、と思わず口元が緩んでしまった。
するとアゼムが上半身を浮かしてエメトセルクに顔を寄せて鼻と鼻が擦れ、触れるだけの緩やかなキスをした。
「俺はそう書いてもいい?」
そう言って破顔するアゼムは眩しいほどに温かく優しい色を滲ませていた。
この男はそういうところがいけない。
誰もが彼の情熱に宛てられて夢中になってしまう。
それは自分だけのものだというのに。
エメトセルクは「勝手にしろ」と笑い、彼へと腕を伸ばして抱き締めてさっきのキスよりもっと深くて熱い口づけを降らした。
それはいつの思い出だったか掘り返すのも容易い。
深海に沈んでいる幻影の泡の都市、アーモロートは薄暗い緑の青の海の色を空に彩りながら揺らいでいる。
エメトセルクは高い建築物の上に腰かけながらその懐かしい景色を眺めていた。
これは本当の場所ではない。
自らが作り出した夢に焦がれる取り戻したい世界の一部だ。
結局、アゼムの言うタイムカプセルはどこにいってしまったのか。
それはアゼムしか知らなかった。
自分だけの秘密の場所に隠した、そうしないと君が勝手に見つけてしまうのはつまらないと迷彩のイデアで隠してしまったのだ。よく視える自分たちに見えてしまわないようにと。
一体何年後に開けるつもりなんだと聞いたら彼は笑って、さぁと答えた。
「いつかきっとまた三人一緒に開けよう」
そう言ってからもうどれぐらい経ってしまったことか。
一万二千年だ、とエメトセルクは重い溜息を零す。
もうそのタイムカプセルは誰にも見つけることはできない。
「お前は何を書いたんだろうな、」
ふいに口端が自嘲で上がる。
手のひらには一つの小さな橙色に輝くクリスタル。
未来のエメトセルクへと宛てられた手紙はそこにその人がいても届けられることはない。
けれど想いだけは手紙だけで綴られたものだけではないその憧憬は彼方から飛んで繋がっていることをまだエメトセルクはまだ知らない。
