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冷めない熱

窓の外を覗くと小さな水粒が窓ガラスにぶつかり滴っていく。
 冬の雨は寒く冷たい。深夜も過ぎればもしかしたら雪になるかもしれない、とクリスタルリウムのバザールにいる人が言っていた。
 今日は暖かくして寝た方がいい、そう言った水晶公はわざわざ部屋の暖炉に一つ魔法を掛けにきてくれた。おかげで部屋は十分な暖かさだ。
 一つ一つ第一世界に夜が戻ってきて安堵する日々が続いているがそれと同時に世界の謎も深まっていく。
 ハイデンリンとゾディアーク。
 アシエンという存在がどうしてか自分たちに協力していること。
 エメトセルクという男が同行しているこの旅が最初は違和感や警戒心を持っていたが今ではどうしてかそこまで危機感を持って接していない自分がいた。
 なぜだろうかという疑問は曖昧だったが一つ確かなことは彼もまた同じ感情をもった人なのだと感じたからだろう。
 ラケティカ大森林での出来事が大きなきっかけだ。
 生きてきた時間が違い彼らか彼らの願いがある。
 それは決して自分たちの理論で否定できない。
 何が正しくて違うのか。
 堂々巡りの思考はそこまでにして時計を見やり、小さなあくびをするとそろそろ寝なといけないと思い立ち部屋の明かりを消していきベッドサイドのほのかな橙色の明かりだけを残して整えられたシングルベッドへと潜り込むと目を閉じた。

 

 

 雨の音は暗い中でしとしとと続いている。
 暖炉の中で小さな火の粉が静寂のの中で爆ぜる音をさせていた。
 小さな寝息を立てている彼の傍に黒い影が明かりに揺らで現れたのは今日だけのことではなかった。
 揺らぐ黒い煙の中から姿を形どるのは敵か味方か問われてもはっきりと敵だとは言えない人物、アシエン・エメトセルクだ。
 コツ、と足音が鳴ったがそれ以外は呼吸も心音すらも静寂の中に囚われていて聞こえない。
「……」
 彼の金色をした瞳はまっすぐに眠っている青年に注がれる。
 なんとも無防備だな、と嘆息交じりに言葉にしない呆れを吐く。
 これが世界を救う英雄、光の戦士というのだ。害を成すかもしれない存在がすぐ傍に来ているというのに本人は深い眠りに落ちている。こうして寝てしまった青年を見下ろすのはこれが初めてではない。
 エメトセルク自身もこうして訪れてしまうことをばかばかしいとは思ってもその衝動には逆らえなかった。今でもその胸に視えるのは誰の魂なのか。
 濃く、鮮やかに瑞々しくそこにあることが憎らしくて憎らしくて握り潰してしまおうかと思ったのが最初の動機だった。
 揺らめく影は背中が丸く、腕はだらんと垂らしたままで動かない。
 見下ろすその双眸も瞬きせずにじっ、と睨んだままだ。瞳の奥に秘めたる想いと使命は誰にも背負えないほどに膨れ上がり彼の深遠の炎を燃やし続ける。
 憎い、思う反面認めたくない感情がじんわりと使命に蹂躙されている胸に拡がる。
 この顔も吐息も何もかもがずっと変わらず己の芯を抉る存在なのだ。
 はらりと白髪の前髪が頬を掠めると眉を顰めて目を細める。この顔を眺めいても懐かしい感傷も埋まらないしどんな気持ちもすっきり晴れることはないのだからやめればいい、と己の愚かさにも反吐が出そうになった。
 ああ厭だ厭だ、とエメトセルクは内心でため息を吐く。
(早く世界を救ってみせろ、その時が訪れた際に私はお前にー、)
 エメトセルクが一歩下がったその時、眠っている彼が小さき呻いた。
 まさか起きてしまったのかと一瞬息を飲んでしまったがそれは杞憂だったようで瞑ったままの瞼が開かれることはなかった。エメトセルクは立ち去ろうと思ったが、どうも様子がおかしいことに気が付いて外した視線を戻す。
「……うう、っ」
 くぐもった声を前歯を噛み締めながら漏らし、額にはじんわりと汗が浮かんでいた。
(悪い夢でも見ているのか)
 どんな夢を見ているのか知らないがいいものではないらしい。
 悪夢を見続けているのかこちらの方なんだがな、と悪態を漏らしたくなったがそんな一人事をここで言ったとことで仕方ない。
 しかしふいにエメトセルクは青年の体に流れているエーテルの変化に気付く。悪夢を見せているのはもしやと思い、背を向けるのをやめてその顔を背を屈めて覗き込んだ。
 これは光だ。
 この男の中で微かに感じるのは光のエーテルの流れがぐるぐると渦を巻いて体の中で締め付けている。
 エメトセルクは口端を上げて、はっと嘲笑った。
(これはこれは、後少しで水がコップから溢れそうではないか)
 取り込んだ光がうねうねと彼の中で膨れ上がりもう少し、もう少しその水滴を垂らせば堰を切ってあぶれてくるだろう。
 そうすれば確かめることが出来る。
 この男がどちらに転がっていくのかを。
 その先に待つ結末を想像し高鳴る羨望は望むほどの強さを見せるのかそれともー。
(どちらにせよまだ早い、か)
 エメトセルクは苦悶する男を静かに見下ろしながら親指で唇を摩りながら考える。
 まだその時が来るのは早いのだ。
 まだその中で眠っていてくれればいい光だ。
 揺らめくその影は手を彼の胸へとかざすと己のもっているエーテルを彼の中へと流し込み始めた。
 するとすぐに眠っている彼の表情は穏やかになりまたあどけない寝顔へと変わっていった。溢れ出しそうになる鋭い光は相殺されまた眠りにつく。必要となりその時まではまだ眠っていれくれればいいと、エメトセルクは肩を揺らして息を吐いた。
「……んん」
 寝返りを打ち、また小さな寝息が聞こえ始める。半開きになった唇、閉じた瞼は時折小さく震えていた。
 しばらくエメトセルクは立ちすくんでいたが腰を折り、ベッドへ静かに座った。
 思い出すのは懐かしい記憶だ。
 彼に似た彼も悪夢を見たから自分に一緒に寝てくれとせがまれたことを覚えている。それは何万年経とうが鮮明思い出すことが出来るほどに脳裏に焼き付いて離れない。
 厭だと言っても満面の笑みを浮かべて手を放さないで一生のお願いだからと、とふざけたことを言っていた。
(あいつは何度一生のお願いを使ったことか)
 思わず唇が綻び、彼の冷たくなった頬に指を触れる。
 細めた目の奥に帯びた熱は知らず知らずに憎しみより愛情深くなる。
 ぎしりとベッドが軋んで影は寝息を立てている青年へと折り重なった。片手を彼の顔横に置き、もう片方の手で頬から顎へと触れて最後には唇に触れた。
 額と額がくっつくほどにエメトセルクは距離を詰めて吐く吐息は彼の鼻先へと当たる。薄ら閉じた瞳がそこで開かれるとじっとそのまま止まった。
「……」
 ばかばかしい、と急にそこで冷めた気持ちに襲われた。
 これはなりそこないではないか。
 記憶をどんなに被せてみたところであいつのなりえるわけではないと熟知しているのは自分だ。
 どんなに魂が酷似していてもこれは彼ではない。
 虚しくて惨めな気分になるとエメトセルクはすっ、とその手を引いて曲げた背を伸ばして重なっていた影は別れしまった。
 握りしめた拳の中には何もない。あの日あの時と変わらないまま。その手に掴むことは出来なかった想いは色あせることなく今でも後悔を残してくすぶっている。
 背を向けたエメトセルクの背中は寂しそうに丸くなっていた。
「ほんと、厭になる」
 それだけ呟いて姿を闇へと一瞬で消してしまった。
 パチッと火花が散った音だけの取り残された静寂の中、眠っていたはずの彼は大きく目を開いていた。
 いつから目が覚めていたかはもう本人すらも把握していなかった。ただまだ鼓動のうるさい音が止まないのは確かだ。
「……なん、だったんだ……」
 わけがわからない、という固まった顔でさきほどの出来事を走馬灯のように思い出してみても夢じゃないかと思ってしまう。
 夢が悪かったのか魘されていたのが自分でもわかっていた。
 そんな時だった、触れるものがあることに気が付いたのは。最初は誰だ、と飛び起きようと思ったけれどその気配はとても優しくて知っているものだと思ったから寝たふりをして様子を伺っていたのだ。
 いや正確には動けなかった、という方が正しいかもしれない。
 そして影が離れた時、細めた目で見たのだエメトセルクを。
 あと少しで触れそうになった唇をなぞるとぼわっと全身の毛が粟立って心臓が口から飛び出そうなほどに爆音を上げている。
 頭まですっぽりシーツを被って体を丸めて火照る顔を両手で覆う。
(なんだよ、あれっ)
 確かにあれはエメトセルクだったということを頭の中で呪文のように繰り返しながらどうして、という疑問もまた思考とは言えない中で湧き出てくるが自分にはわからないし本人に聞くわけにもいかないだろう。
 動悸が収まらない中もう一度掠めただろう唇に触れて眉を顰める。
 意識が返ってくる前の夢ははっきりとは覚えていないが息苦しくて溺れているような感覚だった。そこはあまりにも眩しくて目も開けていられない光だった。
 そこに急に流れ込んできた一つの影が自分の腕を掴んだのだ。引っ張り上げられるようにして浮上すると夢から覚めた。

「お前は本当にいつも世話が焼ける」

 最後にその影はそう言って手を放した。
 その声は迷惑そうで嫌々しい色だったけれどとても愛しさに満ちていて自分の心臓のより深くに刻まれた魂そのものが震えていた。
 その魂への呼びかけに知らないはずなのに込み上げてくる感情があったけれどその正体が何なのかわからない。
 ただ身もだえするしかない自分が虚しく思えて、彼はエメトセルクの恨みの言葉を心の中で吐き続ける。
 どうしてと問うことも出来ずに脳裏に聞こえる声を再生するしかない。
 眠れなくなった夜の雨はまだ降り続いてた。
 熟れた熱を冷ますように。

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