
そろそろ眠る時間だよ
季節が変わる。
その境目は曖昧で、どこか寂しくもあり楽しみでもあった。だんだんと太陽が落ちるのが早くなり、陽が落ちてしまえば風が冷たく感じた。
並木道に落ち葉が増え、赤い絨毯が出来上がる。木枯らしが吹いて、その葉っぱを巻き上げてさらに赤い道は続く。
仕事を終えて明日は久しぶりの休日だ。特に予定があるわけではないが、そういえばと思い出したことを頭の中に浮かべた。
「海を見に行こう」
と、約束をしたのかいつだっただろうか。
しかし冷える季節になってからの海など、ただの冷たくて大きな星が作り出す水溜まりだ。本当ならまだ暑い夏に行けたのなら涼しくて気持ちがよかったかもしれないが、その季節に彼は輪の中にいなかった。
いつも約束をしてもなかなか叶うことはない。お互い多忙、というのもそうだが自分より海を見に行こう、と言った本人が平気で年単位で街に帰ってこないせいだ。こればかりは仕方のないことだし、別に特別なものでもない。絶対にそうしなければならない、という概念が世界に住むヒトにはなかっただけのことだ。
こつこつと靴音を響かせながら自宅までの帰路を付いた時間はもう遅い。星々が爛々と輝いて、寒空の中で自分を見下ろしている。ようやく扉を開けて帰ってこれば、そこは独り暮らしのはずなのに人の気配がすでにあった。
テーブルの上には飲み干した葡萄酒の空ビンとグラスと食べかけのチーズ。
「まったく」
淡く付いたランプは家を出る前には消している。
どうせまた勝手に入り込んでいるんだろう。
そう確信してエメトセルクはため息を零して前髪をくしゃり、と搔き乱した。
「アゼム」
探し人はすぐに見つかった。リビングにいないのなら寝室だ。大概はそこにいる。
しかしそこにはエメトセルクも予想していなかった人物もいた。その人はしっー、と口元に人差し指をあてて微笑み返してくる。
寝室は至ってシンプルで無駄なものはない。あると言えば本がぎっしり詰まった棚とソファ、小さな書斎机だ。ワインレッドのカーペットに濃い木目に四方を埋められた部屋の色彩は落ち着いており、その中心には白いベッドが置かれている。
そのベッドに転がっている人が一人と思いきや二人いたのだ。
その光景に思わず口が半開きになってしまった。
「おかえり、エメトセルク。キミを待ってたんだけど、アゼムは寝てしまったよ」
三つ編みされたラベンダー色をした髪を揺らしながら、起きていた人物は小声でそう伝えた。
「なんでお前までいるんだ、ヒュトロダエウス」
「ワタシがいたらまずかったかい?大丈夫、何もしてないから」
ヒュトロダエウスはくすくすと笑って、ベッドの真ん中で気持ちよさそうに寝ている青年の髪を梳いた。それからベッドを揺らさないように身体を起こしてエメトセルクを見やる。
エメトセルクは何もしてないから、という意味を問おうか迷ったがやめておいた。
こいつのことだ、からかう気満々に違いない。
そうすることをわかっていたヒュトロダエウスは、エメトセルクを手招きした。
「キミもこっちにおいでよ、もうすっかり夜になると寒くなってしまったね」
なんだか従うのも癪ではあったが、エメトセルクはヒュトロダエウスに招かれる形でその傍らではなく反対側へと座ると静かな寝息を立てているアゼムを挟む形になった。
小さくベッドがもう一人の重さで沈んだ。
「こいつはいつから寝てるんだ」
「さっきかな?なかなか帰ってこないキミのことを怒っていたよ。明日の休みは俺の言うことをぜんぶ聞いてもらう、とか言ってたなぁ」
「勝手に言わせておけ」
人の休みを自分の休みの予定として使うな、と本人がいない(正確にはいるが)ところで肩を竦めながらぼやく。
アゼムはエメトセルクの帰りを待っていることが出来ず、先に熟睡してしまったようでヒュトロダエウスはその寝顔を突きながら遊んでいたようだ。この二人は本当に自由奔放で、ここで集まるという約束をしていたわけではない。
人の家に勝手に上がり込むのはきりがないから数えるのはやめている。
人のベッドをまるで自分のものかのように熟睡している顔を見ていれば、わざわざ起こして怒鳴るのもこちらが疲れるというものだ。
アゼムは少し寒いのか身じろきすると肩まですっぽりと厚めのシーツを引っ張ると、ヒュトロダエウスは目を細めて笑う。
「エメトセルク」
「なんだ」
ヒュトロダエウスはちらり、と仏頂面の彼を見ると腕を掴んだ。
この顔はまた何か企んでいる顔だ。
「今日は寒いから三人一緒に寝る、ていうのはどうだい?」
突然の提案にエメトセルクの眉尻がひくりと動く。ほらみろ、やっぱり突拍子もないことを言い出したと、呆れる。
「お前はまた──」
「いいじゃない、たまにはさ」
そう言って強引にアゼムの横へと誘い、ヒュトロダエウスもアゼムの隣に寝転ぶ。それでもアゼムは起きることなく、むしろ心地よさそうな寝顔だ。
エメトセルクはもう勝手にしろ、という気分にもなってきてしまいぽすん、と身体を倒した。
ヒュトロダエウスの手がアゼムを包むように伸びてくる。
それに応じるようにエメトセルクもアゼムの肩へと手を乗せた。温かくて、優しい体温を感じることが出来て、自分の心臓の音と呼吸がどんどん重なっていく。
規則正しい呼吸をして短い睫毛を時折揺らし、瞼の裏で夢を見ているのか眼球が動いている。どうして起きないだろうか、と思うほどアゼムは一度寝ると目を朝まで覚まさない。
ヒュトロダエウスがおやすみ、と告げると静かになる。
この部屋が誰の部屋なのか、この二人は理解した上でここで眠り眠ろうとしている。
(ああ、本当に、まったく)
そう心の中で盛大に文句を吐きながらも、まんざらでもない自分に苦笑した。
目が覚めたら海へ行こう、と心に刻みながら─。
