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​あしあと

真っ白な雪の上。どこまでも続いていくような銀白の世界を美しい、などと思うことはない。誰も歩いていない白い絨毯の上に足を置けばたった一つの、初めての足跡となった。
 一歩、また一歩と踏み出せばその足跡はどんどん続いていく。
 私が歩いた足の窪みに誰かが次の一歩を踏む。そうしてそれはだんだんとマーチになって進行していく。
 誰も歩いたことのない誰も真似できない足跡を、最初の一歩を私は歩んできたのだ。
 それが正しいと誰が言った。
 それが間違いだと誰が言った。
 誰も言っていない。それなのに人は最初の一歩を見つけてそれに続くのだ。
 実にくだらない、愚かだ、とアシエン・エメトセルクは思う。
 私が残した足跡が間違っていることに気付いた時、人はどんな風に罵るのだろうか。
「いいや、私は正しい」
 そう、正しいのだ。
 正しいのだから罵られる理由はない。信じてその後ろについてきたのだから。
 

 クリスタリウムの酒場、彷徨う階段亭ではいつのもように英雄を取り巻く者たちが集まり話し合いを開いていた。
 彼らはいつだってその中心に英雄という青年を置き、次にどう行動すべきか次の罪喰い探しをどこでするかと互いが互いに任務を課して別行動をする。
 今日もそうやってどこへ向かうかを決めると、グラスに満たしていた酒を最後まで飲み干して一人、一人とそのテーブルから消えていく。
 その様子をエメトセルクは眺めていた。グラスに注がれた深紅のワインはまだ一口もつけていない。
 訝し気に眉を顰め、はあ、と悩まし気な吐息を零し、カウンターに頬杖を付いて背を曲げる。今日はあの眺めているテーブルの中に自分を愉しませる人物がいないことが至極つまらないのだ。
 彼らとて小さな組織だが、その青年がいないからと言って何も決まらないわけではない。個々に意思があり何を成すべきか知っていれば、彼がいなくても未来は進んでいく。
 しかしそれではエメトセルクはつまらないのだ。
 あの一番憎たらしい顔がないのかと思うと興が冷めるというもの。
 もう誰もいなくなってしまうぞ、と思った時に彼はようやくその姿を見せた。
「あれ?エメトセルクじゃないか、あんたがこんなところで酒を楽しむなんてな」
 そう言って先に声を掛けたのは闇の戦士である青年だ。
 エメトセルクは振り返ることもなく、肩を竦めて、「私がここで酒を飲んで悪いかね?」と、声色を掠れさせて言った。
「お前が来ないからもうあいつらは散っていったぞ」
 エメトセルクの隣に立つと、ああと空になったテーブルを見て笑った。
「ここに来る前に頼まれ事をされてさ、つい引き受けていたらまたそこから頼まれちゃって。アルフィノたちには連絡してあったから問題はないんだ」
 後ろ頭を搔きながら彼は明朗な声でそう告げる。彷徨う階段亭の店員が注文を聞きに来て、彼はちらりとエメトセルクが飲んでいるものを見て、同じもの、と言う。
「それからその土地の人に何かおかしなものを見てないか、とか聞いて回っていたらこんな時間だ」
「お前は本当にお人よしだな」
 フン、と鼻息で嘲笑いようやくワインに口を付けた。
「それが俺の性分なんだよ、いいだろ?あんたに迷惑はかけてないんだから」
 戦力はあてにするな、と言っておきながらこのアシエンは悉く口出しをしてくる、と彼は呆れたように唇を尖らせた。しかしそんなことはさておき、と話題を変える。
「それでさ、」
 彼はそのままエメトセルクに今日あったことを話し始めた。別にそんなことを聞きたいわけではないのに、男は嬉々として話すのだ。
 身振り手振りで何があったのかを。
 私に言って何になる。そう過る。
 ふいにその仕草が懐かしくなって、エメトセルクは心地よさそうに目を細めて唇の端を上げた。
 昔もよくこうして親しい者が自分に駆け寄って、旅で得た土産話を嬉しそうに楽しそうに話していた。
 彼もよく知らない土地を歩いた。
 この冒険者のようにその足で新しい一歩を踏み出して帰ってきた。
 懐かしい声の響きは酔いを早くしているような気もする。そして同時に寂しさも加速させた。
 彼が残していく足跡は消えないのだ。
 自分の足跡は、吹雪く雪に消えていく。
 この男が踏むとそこには消えない色がそこにあるのだ。羨ましい、と思ってしまった。
 首を少し傾けると白い一房の髪が視界を塞ぐ。片方の耳から入る声はすぐにもう片方からすり抜けて内容が入っていかない。
「お前はどこにいても楽しそうだな」
 ただこの男は一人楽しそうだ、ということだけはわかる。
「いいことを思いついた、明日あんたも一緒に行こう」
「なんだって?」
 はっ?と、思わず顔を上げると彼はにやりと笑った。
「そんな湿っぽい顔してたら酒も美味しくないだろ?だから明日、俺に付き合ってくれよ」
 どこに行くのか知らないがエメトセルクは厭だ、と吐き捨てるが彼は諦めずに別にいいだろ?と誘う。
 エメトセルクは窪んだ目元をさらに暗く影を落とすとしつこい男に、やれやれと折れることにした。こいつは厭だと言ってもきっと連れて行く気だろう。
 だが別にそれも悪くない。
「そんな風に懐かれても私の戦力をあてにするなよ」
「はいはい、わかってますって」
 彼は運ばれてきたワインのグラスを持つとエメトセルクのグラスに勝手に寄せて、嬉しそうにチンと重なる音を小さく響かせた。
 この男が残す一歩に続く者は多い。
 英雄に憧れ、冒険者になる者も。
 その足跡は確かな形となって彼の背中を押している。振り返って引き返したくなっても、前へ進め、大丈夫、と言ってその残滓から溢れる光がある。
 そんな光など私がもっと白く染めてやる。お前が歩く後ろから塗り潰して気付いた時にはもう戻れないほどに白く。眩いその色を吐き出すまで。
 エメトセルクは目を伏せ、まつ毛を震わせるとゆっくりと閉じる。そこに映る色はいつだって暗くて冷たい。
 私があの寒い世界の白い雪の上に付けた足跡など、とっくに消え失せてしまっただろう。
 誰も辿ることなく、思い出すこともなく。


 しかしお前の足跡は今でも変わらずくっきりと形を残しているのだな、と届かない空の言葉を砕いた。

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