
Star Traveler
「君がファダニエルの座を継ぐことになったヘルメスかい?」
突然後ろから声を掛けられたことに、濡れたカラスのように艶めいた髪をもつ彼はゆっくりと振り返った。
赤い仮面越しに見返してくるコバルトグリーン色の瞳は夜の中でも輝いていて、宝石みたいに綺麗だった。それは爽快な声色で声を掛けた青年も同様で、赤い仮面の中から青い瞳が笑っている。
今宵は月が薄く、アーモロートの街を照らしていた。
街の一番高い場所にある空中庭園にはこんな時間に人気はない。そこから見上げる星々はとても綺麗だが、今日は霞んでしまっている。きっとそんな夜にわざわざ散歩に出かけよう、なんてヒトはいないのだろう。
「あなたは」
そう言いかけると、その青年は自ら顔半分を覆った仮面を外した。
ヘルメスは一瞬目を見開いて驚きに口を半開きにしてしまった。初対面だというのに彼は象徴たる仮面を外してしまったのだ。それは市民だったとしても滅多とない行為だ。
「こんばんは、初めまして」
その顔は薄っすらとした月明りの下でもとてもはっきりとして輪郭で、形のよい唇が軽やかに挨拶をする。
「アゼムの座、あなたは話に聞いた通りの人のようだ」
ヘルメスは肩を竦めて先代のアゼムの話を思い出す。現行のアゼムは先代のアゼムと行動や性格がそっくりで破天荒だと。そのおかげで親友たちを巻き込んでは大いに笑う人だと、人づてに聞いている。
赤い仮面を見ればその人物が誰だかすぐにわかるというに、アゼムと言う人はもうそこに立っている時点でアゼムであることを主張していた。彼がアゼムの座だから出来ること、の一つなのだろう。
「君とは初対面のはずなのにもう噂を耳にしているのか」
アゼムはむむっ、と顎に指を持ってくると一体誰が自分のことを吹き込んだのだろうか、と考えてみせた。
ヘルメスは薄い唇に弧を描き、彼もまた仮面を外してみせた。
褐色の肌にはまった明るい緑の瞳はとても美しく、つい魅入ってしまいそうなほどの魔を秘めている気がした。
「あなたはとても目立つ、という意味ですよ。否が応でも耳に入ってくる」
アゼムがアーモロートに帰ってこれば今度は一体どんな旅をして世界を駆けたのか、アーモロートにアゼムがいない間はとても静かで平穏だ、とヘルメスが口にすればアゼムは「そうかもしれない」、と大声で笑った。
その声は裏も表もない、素直で真っ直ぐに伸びる透き通った爽やかな声だ。
「何をしていたんだい、ヘルメス」
ところで、とアゼムは一歩彼に近寄って聞いた。
「特に何も、ただこうして空を見上げるのが好きなんだ」
「今日は霞んだ夜なのに?」
「それでも星はでているだろう?ほら」
ヘルメスは届かない天井いっぱいに拡がった濃紺色の空を指差す。霞んでいる、と言ってもそこに輝く幾多の星たちは息をするように眩いている。
アゼムはふと、思い出す。ヘルメスがファダニエルの座に就くことになった経緯と起こった事件を。
「そういえば、君は特別な使い魔をもっていたそうだね」
もう一歩、アゼムはヘルメスに歩み寄ると肩を並べ夜空を見上げた。過去形になったその使い魔、という言葉にヘルメスの肩が寂しく揺れる。
局長として働いていたエルピスでの事故により、ヘルメスの使い魔であったメーティオンは暴走して消滅してしまった。その際に同行していたアゼムの友人たちが負傷して記憶まで一時的に欠損している。もしかしたら彼はそのことを咎めに来たのだろうか、とふいに思ってしまい目を伏せたが、アゼムはその視線に気が付いて、なんだい?と、また清々しい笑顔を見せた。
「俺も会ってみたかったな、メーティオン」
空を飛んでいくその青い鳥を想像する。
ものすごい光の速さできっと飛んでいくのだろう。
「君はもう一人の自分、というものを信じるかい?」
アゼムは急にそう質問する。
ヘルメスはその問いの意味がわからなくて、目を丸め、すぐに答えることができなかった。するとアゼムは、あそこにも、あそこにも、と星を指差した。
「ほら、星がいくつもあるだろう?そこには俺たちみたいなヒトがいるかもしれない。それがもしかしたら自分そっくりだったら?って考えないか?」
アゼムの言葉にヘルメスは呼吸をするのを一瞬忘れてしまった。
ヘルメスはこの星以外に存在する自分たちと違うもの、の答えを知りたかった。それがどんな答えなのかはわからないが、ここだけではない世界に自分みたいな疑問をもっているものを知ってみたかったのだ。
命という生を、この星ではない星たちはどう感じているのだろう。そうして生まれたメーティオンに星の旅をさせて答えを知ろうとした。
この星を善くすることばかりに囚われたヒトたちは、この星をことだけを考えている。星以外に誰がいようが、どんなところなのか考えもしないのだろう。
しかしこのアゼムの口から出た台詞は自分を肯定し、さらに疑問を投げかけてくるのだ。
誰もがしなかった問いを。
誰もが想わなかったことを。
幾千という星に想いを馳せているのだ。
「……あなたは、面白い人だ」
ヘルメスは重く艶めいた声でアゼムにそう吐いた。
「よく言われる、俺はいつも真面目なんだけどな。いつだって真剣に取り組んでいるのに、おいそれはなんの冗談だ、てエメトセルクに言われる」
アゼムはいつも隣で小うるさくああだのこうだの言ってくる人物を思い出して重たくため息を吐いた。
「それはエメトセルクがあなたを心配しているからでしょう」
「お節介なだけだよ、あれは」
アゼムはやれやれ、と肩を竦めて苦笑した。
そしてヘルメスはまた頭上に広がる届かない夜空へと視線を流した。どの星だって命を輝かして、ここにいると気付いてほしくて点滅している。
「メーティオンは星を旅していた。残念ながらそれは失敗してしまったが、あなたが言う通りどこかにはもう一人の俺がいるかもしれない」
その自分がどこかで星を旅することを成し遂げてくれるかもれない、となんだか夢物語かもしれないがありえないことではないと信じたくなった。
そしてこのアゼムという人なら、いつか星を飛び出して旅を続けるのではないだろうか、という想像を働かしてしまう。
出来ないからしないのではない、出来ないのならその方法を見つける。
それがアゼムの座という理ではないか、という気がした。
星を歩いて、知る。
星を見て、まだ知らない明日を歩く。
それがアゼムという人なのだろう。その座はお悩み受付係り、と言われるが実際誰もがなれるものではないのだろう。どの座でもそうだが、このアゼムという座は想像するより遥かに卓越していなければなれないだろう。
そう、ヘルメスは彼をここで初めて見て感じた。
メーティオンが見ることが出来なかったものを、この人は見ることが出来るのではないか、と不思議と期待してしまった。
「あなたはまるで星の旅人だ、いつかここではないどこかに旅立ってしまいそうだ」
ヘルメスは感じたままに言葉にすると、アゼムは口端をくいっ、と上げて首を傾げる。
「そうかな、まだまだこの星について知らないことが多いんだ」
世界は広い、と両手をいっぱいに広げ、続ける。
「けど、もし、隅々まで旅をしてしまったらいつかはこの空のもっと上を飛んでみたい」
その燦燦とした瞳はいつまでもどこまでも燃えて照らす太陽に似ている。
羨ましいと思ってしまうほどに、それに焦がされ、畏怖すらするだろう。
「その時は君に知らせよう、もう一人の自分がいたかを」
アゼムはそう笑って零し、ヘルメスと一緒に群青色の空を見上げた。
