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Sol omnibus lucet.

 朝起きると寝ているはずの人がいなかった。
 寒くて毛布を掻き抱くついでに寝ている人に引っ付こうとしたのだ。いつもなら空いたその胸の中に顔を埋めにいくと、寝ているその人は無意識に片腕を退けて自分をそこへ誘ってくれる。
 ふわっ、と温かい空気が顔にかかってその中へ顔を寄せると彼は腕を肩に回して抱き寄せてくれた。鼻と頬を擦り寄せれば身じろきをして同じように眠りながらも温かさを求めて同じ仕草をする。
 吐息がふっ、と重なって少しだけ触れた。
 彼の少し大きな手が頭を包み、撫でる。触れた足の先が冷たかったけれど、熱を分けて欲しくて触れ合う。小さな寝息のような声が薄く開いた唇から漏れて、抱き締める腕の力が強くなり火照ってきた頬が首筋、鎖骨へと擦れた。
 朝日がカーテンの隙間から零れて細くて白い線を伸びしている。少しずつ太陽が昇り、夜の闇を光に変えていく。
 その朝の眠ったままの意識がないようなあるような小さな愛情がとても嬉しくて、寒くなる季節が好きだった。
 しかし今、その大切な温かさがない。
 ぼんやりと重たくなってくっついたままの眼を開けて、ぼさぼさの寝ぐせを撫でつけながら胸から上を起こしてあくびをする。
「あれ?えめとせるく?」
 起きてすぐの声は掠れていて言葉になっていない。
 ぶるっ、と空気に晒された剥き出しの肩が震えてまた毛布の中に戻る。
 その中を探しても隣にいたはずのエメトセルクがいないのだ。いただろう場所に触れるとまだ温かい。
「あれ?」
 おかしいな、とまた大きなあくびをして毛布に包まりながら身を起こして覚醒しつつある頭の中で、考える。確かに寝る時は一緒だったし、触れ合った肌の熱も間違いではない。
 ようやく茶髪の青年、アゼムはベッドから飛び出してソファの下に脱ぎ散らかしたままのローブを手に取って急いで羽織った。そのローブは冷たくて素肌に触れるとせっかくの体温が奪われるような気にさせられたが、すぐに体温に馴染んでいく。
 寝室を出てリビングへと足を踏み入れたが彼はいない。冷える朝ではあるが、窓から差す太陽の温かさが部屋を少しずつ和らげている。
 自分を残して朝早くにどこに行ったのだろうか、と首を傾げて眩しい窓の外をふいに見てみると、そこから見下ろした景色の中に姿をすぐに見つけることができた。
 緑の木々が朝日を浴びながら輝いている下にエメトセルクはいたが、その隣には珍しいものも一緒にいてアゼムはさらに目が覚醒する。
 大きな青い目を爛々とさせ、慌てて靴を履くと部屋を飛び出した。
 螺旋階段を一段飛ばしで息を切らして走り、一番下まで降りていく。
 そこから開けっ放しの大きな玄関口を通ると昇ってきた太陽がアゼムを迎えてくれた。
「エメトセルク!」
 はっはっ、と短い息を切らして名前を呼ぶと彼は振り向いた。白い髪が太陽の光に反射して少し眩しくて、アゼムは額に手をかざす。
「起きたのか」
 声がした方を見て、エメトセルクは口元を緩めるが、アゼムは彼の横で止まり肩を不満そうに小突く。
「起きたのか、じゃないよ。君がいないから思わず探してしまったよ」
 起こしてくれよ、と、不貞腐れるアゼムの声にエメトセルクはふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
「寝ているお前を起こさないようにしたこっちの身になってみろ」
 わざわざ起こさなくてもいい人を起こさないようにしたのは私だぞ、とそっとベッドを出たことを咎められるのは心外だという目つきでアゼムを見下ろす。
 しかしそのアゼムは気に入らない様子でエメトセルクを睨みあげた。片方のほっぺを膨らませて。
「起こしてくれよ、一人で楽しいことしてないでさ」
 そう言ってアゼムはにっ、と白い歯で笑うとエメトセルクの後ろにいるものを指差した。さきほどまでは不満そうだったのに次にはころりと表情を変えて声を弾ませる。
「君の獣騎だろ?」
 ちょうどエメトセルクの後ろに隠れるようにいたのは一体の獣だ。ずっしりとした大きな図体で馬のように四足歩行だが、馬のように美しく流れる鬣はない。しかし頭からしっぽの先まで流れる線を描いたしっかりとした角が何本も生えている。
 もちろん騎乗する場所には鞍がしてあるため、その角はない。馬のような顔をしているが、その額から長い流曲線の角が突き出していてきっと正面からぶつかったら腹に穴が開くかもしれない。
 その獣は白い鼻息を鳴らすと、鋭い爪で地を何度か引っ搔いた。
 エメトセルクは目を後ろにやり、その獣の頭を撫でた。その目の金色には愛着があって、とても優しかったのをアゼムは見ていた。
「グラニだ」
 獣の名前を呼ぶと、嬉しそうに頭を振ってエメトセルクへと擦り寄る。とても信頼されているのだろう、と一目でわかる。
 アーモロートにいればほぼ乗り物、というものに乗ることはない。こうした獣騎に乗ることなど、ここの市民はそうそうないことだった。
 アゼムは興味津々にグラニに近づいて、そっと口の前に手を出した。突然出された手を、グラニの丸くて小さな瞳が見つめ、それから一歩アゼムへとグラニも近づく。グラニもアゼムのことが気になるのか鼻を指先に寄せて匂いを嗅いだ。
「珍しいね、こんな子初めて見たよ」
 アゼムは今まで旅をするにあたって色んな創造魔法で出来た動物たちを見てきた。大きな4枚羽の鳥や、羽の生えた馬、水中を移動するための蛇。
 しかしその中にこんな立派な創造動物は見たことがなかった。
「ここにいるとこいつを喚ぶことは少ないからな」
 この背に乗ることは少ない、とエメトセルクは優しくグラニの硬い背を撫でた。
 アーモロートに出る用事があればこのグラニを乗馬することもあるが、そうした機会がエメトセルクの座についてからも多くはない。目にする機会などほとんどの人がないのだろう。
「じゃあなんでここにいるの?」
 それならどうしてこんな朝からここに召喚したのだろうか、と率直に聞く。しかも自分抜きでそんなことをするなんて、とずるいとせがむ。
 エメトセルクはそのアゼムの好奇心の瞳に肩を竦めながら、
「たまには散歩もしてやらないとこいつも拗ねるからな」
 と、苦笑した。こうなったアゼムはその興味の火が落ち着くまで収まらないだろう。
 妙な時間に目を覚めてしまってアゼムはまだ熟睡しているし、つい昇ってくる朝日が気持ち良くてそんな気分になったんだ、ともエメトセルクは付け加える。
 アゼムはグラニを眺めるエメトセルクを見ながら、顎に指をあてて一つ思うことがあった。
「君って勿体ないよね」
 と、そして言葉にした。
「何がだ」
 突然そう言われても、勿体ない、という意味がエメトセルクには理解できない。
 アゼムは青い目を細めて笑うと頷く。それはとても朗らかで、まるで太陽のように燦々と陽気な笑顔だった。ただそう思ったことをすぐに口にしたくてたまらない。悪いことだって良いことだって、彼は思ったように行動した。
 それがアゼムという男だ。
「だって君はグラニに優しく接するのに、人に対してはそういう顔をしないじゃないか。もっと愛想よくすれば誰にだって好かれそうなのに」
 だから勿体ないんだ、と素直にアゼムは腕を組んで答える。まじまじと見ながらそんなことを言われるとなんだか恥ずかしくなりそうだった。
 少し躊躇った後、エメトセルクは何を言い出しかと思えば、とため息を吐く。
「お前な、私は私だし人に無理に好かれようなんて思ってもいない」
 お前と一緒にするな、と額を小突く。
 何を言い出すかと思えばくだらないことだ。自分は人との距離を自分から詰めたいとは思っていない。ただこいつともう一人の古き友人が特別なだけだ、と心の中だけで声を落とす。
 それにもう十分だと思っている。
 この太陽が自分の向かって笑うのであれば、それで良かった。
「そうかい?君は俺とヒュトロダエウスがいればそれでいいの?」
 君のこと好きな人、案外多いと思うよとからかえばエメトセルクがうるさいと唸る。
「お前たちと一緒にするな」
 アゼムはふふっ、と笑ってエメトセルクの腕を掴んだ。白い息で出て、すぐに消える。
 そろそろ太陽が大地を照らし橙に染めていく。
 グラニは鼻先でエメトセルクのローブの袖を突いて、息を鳴らす。
 どうやらその仲に自分も混ぜて欲しい、と言っているみたいだった。
「なぁ、今から散歩するんだろ?俺も連れってくれるかい?グラニ」
「おい、なんで私じゃなくてこいつに聞くんだ」
「だって乗せてくれるのはこの子じゃないか」
 すっかり懐いてしまったのか、グラニはアゼムが触れても嫌そうにせずに後ろ脚で地を蹴った。今すぐにでも背に乗せて飛び立ちたいというように。
 このアゼムという男は人だけではなく獣すらも虜にしていくのか、と思わず頭を抱えたくなる。
「いいじゃないか、たまにはこんな朝も」
 早起きをしてする散歩も、寝坊をして慌てて飛び出す朝も、二人で微睡む優しい時間もどんな朝だって、アゼムは好きだった。
 そこにエメトセルクがいるということが、全ての始まりで大事な一瞬だった。
「まったく」
 言い出したら頑として言うことを聞かなくなるアゼムの何度目かのわがままに、エメトセルクは折れることになる。
「アゼム」
 エメトセルクは長いため息を吐いた後、アゼムに手を伸ばした。
「それで、どこへ行きたいんだ?」
 このグラニならどこへでも連れて行ってくれるぞ、と黄金色の双眸を穏やかに細める。
 アゼムはその問いに目を輝かせて大きく口を開いた。
 そうして太陽が昇る。アゼムとエメトセルクを温かく照らして。

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