
ドタバタと人をかき分けながら走る青年の姿が見える。
また走ってるわ、と誰かに笑いながら言われた気がしたが彼は気にしなかった。
息を切らして後何分で定例会議のチャイムが鳴るだろうかと目配せしたが時計はない。
(ええい、走っていると邪魔だな)
そう内心で叫んで真っ赤な仮面を外して廊下の角を曲がる。
「遅いぞ、アゼム!」
曲がった先から不満そうな、というか不満たっぷりですでに眉間に皺を寄せているエメトセルクが壁に凭れかかりながら待っていた。
疾走してきた青年アゼムはエメトセルクの姿を捉えると額に汗を浮かべながら速度を上げて彼の隣にゴールする。
息が上がり両手を膝に着いて呼吸を整えようとするが、もうこのままここで座り込んで大の字になってしまいたいという衝動に駆られるが後頭部をエメトセルクに軽く叩かれた。
「今日は寝坊か?それとも助けてアゼム様、というお願いか?それとも──」
「ごめんごめんって!それにちゃんと間に合ってるじゃないか」
エメトセルクは腕を組むと、フンと鼻を鳴らして片方の眉を上げる。大体いつだって待ち合わせすると先に来ている試しがない男だ。どうせ遅れてくるとは思っていたが大事な会議にまで走り込んでくるとは飽きれもする。
アゼムは両手の平を合わせて彼にごめんごめんと何度も言いながら拝むような動きをしたがその表情はちっとも悪びれていない。
「間に合えば問題ないというわけじゃないんだ。何事も前もって行動しておけとあれほど言っただろう」
またお節介な説教が始まってしまった、とアゼムはようやく整ってきた胸の振動を抑えながら苦笑する。そんなことなどエメトセルクにはお見通しだった。
「ほ、ほら!エメトセルクだって定例会議遅れちゃうよ!」
「お前が!遅かったからだろう」
人のせいにするな、と指を差して怒号を飛ばせばアゼムは笑って先に小走りでまた走り出す。
「まったく」
待っていてやったというのにアゼムときたらギリギリに滑り込んできて茶化すとは、と飽きれて怒る気にもなれない。そんな光景など日常茶飯事だった。
待たずに先に入ってしまえばいいものを、とも自身で考えはしたが理由もなくその思考を脳内に片隅に片付けてしまった。
壁に掛けられた大きな時計を見やるとそろそろカピトル議事堂内で十四人委員会全員出席の定例会議が始まる。
頻繁にあるわけではないが必ず定期的に行われている。もちろんその出席はアゼムも行かなくてはならない。ただ彼の場合、アーモロートの都市に滞在する期間が曖昧なため難しい時もあった。
今回はたまたま滞在と定例会議が重なっていたため必ず出席するように、という圧はかかっていた。アゼムは自分がいようがいなかろうが問題はないだろう、と言っていたがそれをエメトセルクはくどくどと何時間も正座をさせて説いてやったら泣きながら、
「行きます行きます、行きますからぁ!」
と、早口で謝りながら喚いたものだ。
約束をしたというのに前もって行動するのではなく、こうして彼はギリギリにやってきた、というところだ。
大方寝坊でもしたのだろう、とエメトセルクはまた鼻を鳴らした。
「まったく」
討論会議室に入れば皆がフードと仮面を外す。ここには十四人委員会のメンバーしかいないからだ。対等であり信頼を最も置いている者たちが集まるのだから当然なことだった。どうやら自分たちが最後だったようで中ではすでに討論を始めている者や談笑している女性たちがいる。
ふと、アゼムのエーテルの質が大きく揺れた気がしてエメトセルクはアゼムがいる先を見つめた。
アゼムは身長が低いため、すぐに誰と話しているのかわかる。と言うか相手が長身なせいだろう。
「ファダニエル」
金色に彩られた輝かしい広場の中にぽつんと目立つ色、濡れた烏のような黒光りする髪と褐色な肌があった。
エバーグリーンに彩られた瞳はどこか暗い印象を受けてしまうが、彼こそが自分と反対の生という物理の世界を解明する座である新任のファダニエルだ。本来の名は確かヘルメスと言っていたはずだ。
ファダニエルはエメトセルクを見つけると、頭を下げるがその顔は前回見た時よりに焦燥している気がした。まぁ彼はエメトセルクに対してエルピスで大きな事故を起こし、一部の記憶を喪失させてしまっているためどこか負い目があるのだろう。
そのためなかなか逃げ腰なところがある。仕事以外では極力関わらないようにしているようで、二人で話をすることはない。「あれは事故だ」と、エメトセルクは仕方でありその後の処理も問題なく出来ているし、記憶だってエルピスで一片のことだ。
「お前、ファダニエルと会っていたのか?」
確かアゼムがこの定例会議に出る少し前に就任したため、初めて顔を合わせるものだと思っていたがどうやら違う様子だったため聞いてしまった。
「ああ、先日ちょっとね」
アゼムはふふん、と何故か得意げになって笑うのをエメトセルクは目を細めて見る。
意味深なその、ちょっとね、というのがわざと人の気を引きたいのかと勘ぐってしまう。
「ふうん」
「ああ、少し外の空気を吸っていたら彼が挨拶をしてくれたんだ、エメトセルク」
ファダニエルは少し掠れたハスキーな声でそう教えてくれたが、別にこの二人は何をしていようがどうでもよいはずでは、とふと気が付いて悟られないようにそっぽを向いた。
「なんだか今日は疲れているみたいだけど、仕事にまだ慣れない?」
アゼムはファダニエルの顔を見上げながら首を傾げる。
「お前な」
そんなことをいきなり率直に聞くな、とエメトセルクはため息を漏らす。
ファダニエルは頬の筋肉を緩めながら、
「いや、ご心配なく。座としての責務はちゃんとこなせているよ。ただ少し寝不足で」
ファダニエルは濃い眉を下げなら苦笑した。
「わかるよ!定例会議とかあるとつい緊張しちゃって寝れないよな」
なぜかアゼムは腕を組んでうんうんと頷きながら納得してみせると横にいるエメトセルクが盛大なため息を吐いた。
「お前と一緒にしてやるな、お前は大方ヒュトロダエウスと夜中まで旅の話に夢中になって夜更かしでもしたんだろう」
エメトセルクがそう言い終わるとアゼムは力強く彼の脇腹を肘で何度も突いてささやかな抗議をする。
「なんでそんなこと言うんだよ」
「私は本当のことだな」
「君は本当に堅物だな、もう少し物腰柔らかくした方がいいんじゃないのか。エメトセルクの座というもの常に大らかであり人のことにケチをつけるなんて余裕がないことをしない方がいいんじゃなかな」
「はあ、お前なぁ」
ああいえばこう言うというのはこういうことか、というほどに鮮やかにアゼムはけらけらと笑いながらエメトセルクの言葉をくるくる遊ぶようにして回す。
しかしいい加減怒られる、という線引きはできているらしくそれ以上は突っ込まない。
それがまた一段と憎たらしいというものだ。
ファダニエルにはそんな二人のやり取りを目にして、少しだけ柔らかく笑った。さっきまでの緊張したように固まってしまった雰囲気はない。
「あなたたちはとても愉快な人だ」
重心の低い掠れた柔らかい声でアゼムとエメトセルクに微笑んだ。
「待ってくれ、こいつだけだ。大変愉快なのは」
一緒の人種にしてもらっては困る、とエメトセルクは苦々しくアゼムの肩を肩で突く。
「いいじゃないか、誉めてくれてるんだ」
アゼムは褒め言葉して受けとったようでにかっ、と白い歯を見せた。
「あなたは本当に自分の心に素直な人のようだ」
ファダニエルにはいつぞやの夜空の下で出会ったアゼムをも思い出して呟いた。彼は発する言葉はどこか創造魔法とは違う活力の魔法がある気がする。すらすらと出てくる言葉に嘘ややましいことなどなく、本心で喋り笑うのだろう。それでいて人を怒らせることをしてもきちんとどこまで怒らせていいのかさえわかっている。
まるで子供のような開け抜けた部分もありながら大人としての裁量も持っているようだ。だから目が離せなくなる。
彼と話をしているだけでその太陽のように輝く色に当てられて心が前を向く。
そんな気がした。
「君のことをたくさん知りたいな、また会議が終わったらお茶をしながら話をしよう」
アゼムはそう言ってファダニエルに手を差し出した。
その手を見つめてしばらくしてから取ると自分の手がとても冷えていたことに気が付く。いいや、彼の手が温かいのだろうか。
「君も一緒にどうだい、エメトセルク」
くるりと振り向いてアゼムは聞く。その興味津々で好奇心にあふれた青い目から目を逸らすことなどきっと誰も出来ないだろう。魅せられるようなそのスカイブルーに溺れ沈むのは自分の方だ。
その返答にノーは許さないよ、というかのように微笑んでいるのがまた憎らしくもあり、愛おしくもなる。
エメトセルクはため息だけで返事をするとちょうど部屋の中に重い金属音のチャイムが響き渡った。
定例会議の始まりの合図だ。
アゼムはファダニエルの手をぱっと離すと、
「また後で」
そう言って小走りに自分の席に向かった。
エメトセルクも同じようにローブを擦りながら自席へ向かうと、ファダニエルが笑った気がして振り向いた。
「彼は本当に面白い人ですね、エメトセルク」
さきほどとのような仄暗い緑ではなく、それは興味の光を持った目だった。
「まあ、な。あまり首を突っ込むと危なっかしいことに巻き込まれるから気を付けるんだな」
それは彼への同情からの忠告なのか、それともざわつく心の中の何かが警告しているのかエメトセルク自身は知らない。
そうしてラハブレアの声が響き渡り、会議は始まる。
