
memoria
思い出が美しいなど誰もが思うわけではない。
思い出とは美化されやすいものだ。どんな嫌なことがあってもそれに蓋をして見ないふりしてあの頃は楽しかった、美しかったと振り翳して言うのだ。
確かにそれはとてもとても美しい世界だった。尊敬する者がいて愛する人や親愛なる友がいつもまでも隣におり、小さな争いなど長寿である者にはすぐに時間に流されなかったことにしてしまう。
ここにある思い出は、非常に綺麗で眩しいものだったとぽっかり空いてしまった胸へと手を当てる。
そこには何もはまっていない。あるものは使命だけだ。
思い出、というものはもう真っ暗な闇に沈めてしまった。それを掬い上げてみようとはしなかった。
エメトセルクは仮面の奥で眉を顰めながら、
「お前という者が何たる者かを忘れるな」
と、しつこく告げたが白い法衣を着た男は涼しい顔のままで首を振る。
「私はエリディブスとして役目を忘れはしない」
軽めの声色ではあったがその声は底闇を這うような重くて感情のない声だった。
一定の声音で決して怒ることもなく、淡々とゾディアークの復活のために暗躍するアシエンとしての存在している。いつだって彼は彼たる役目を担っていることはわかっているが、ゾディアークからこぼれ落ちてきた後の彼はもう自分の知っている人ではなくなっていた。
自分より幼く若く、誰をも尊敬し慕っていた【テミス】という人はもういない。
捧げられた同胞の魂を救うため、彼は決してエメトセルクのようにあの頃を懐かしむことはしなかった。
「思い出は思い出のままの方が美しい。今更思い出したところで、それはまたあの燃える空を思い出すだけだ」
それはそうだろう、と肩を竦めてエメトセルクは足を組み替えて椅子に座り直した。
自分だってあの美しいエーテルの溢れるアーテリアスを思い出せば、なんと美しい世界だったのだろうかと感嘆してしまう。しかしそれが壊れていくのを見つめ、我々は心も壊してしまった。
壊れるなという方が無理なのだろう。
嫌なものに蓋をして、憎悪に変えてひたすらに何万年と蓄積されて宿願を成すことだけを生きる糧としてきた。
思い出とは時に残酷だ。
残された者にあるのは思い出だけしかない。それに縋ってはだめなのだろうか、とエメトセルクは暗い闇の中を朦朧と見つめる。自分という人を留めているのは口に出して言うことはないが眼の裏にある悠久の美の景色だ。
忘れもしない、色彩豊かな世界。
椅子の肘掛けに膝を付き、遠くを見ていているエリディブスへと視線を揺らす。すると彼はゆっくりとエメトセルクへと口を開いた。
「私はもうあのアーモロートを思い出したくはないのだ。君もそうではないのか?」
佇んでいた彼はくるりとエメトセルクに向き直り、聞き返した。
エメトセルクは長い息を吐いて嘲笑すると、
「私は思い出を思い出にしたくないだけさ、同胞の魂が解放されればそんな醜悪な思い出など忘れるさ」
それまでの辛抱、とひらひらと手を揺らした。随分と長い辛抱だが致し方ないだろう。
エリディブスは顔色一つ変えることなく、そうだなと空返事をした。
「思い出したところでつらいのなら、そんなものなくてもいい」
ただ今はこの世界を統一する、その願いを叶えることが自分が存在している意味だと空いてしまった胸の穴にその願いをはめ込んだ。
「我々が何のためにアシエンになり世界の統合を進めるのか、君こそ理解しているなら早く仕事に戻りたまえ」
いつまでも椅子に座っていないで持ち場に戻りたまえ、と言い放つ。
エメトセルクはめんどくさそうに背伸びをすると、はいはい、と頷いた。
濁んだ金色の双眸が瞬きをして重い腰を上げる。
思い出が美しいなど誰が言った。
思い出は残酷なものだ。
思い出せるものは懐かしくて綺麗なものばかり。それがどれだけ残酷なものなのかを私たちは知っている。
ふとエメトセルクは闇に消えてしまう前に彼を呼び止めた。
白い法衣が暗闇には目立つ。
「お前は、あいつを思い出にするか?それともー」
それ以上に言葉が思い浮かばなかった。
思い出すその名前は忘れ去れた座の名前だ。十四番目の座などいないとラハブレアと同じことを言うのだろうか。
自分はその座を覚えている。どんなことになろうと、その星の座を思い出の中だけにしなかった。
エリディブスは少しの沈黙の後に口元を緩めた。
「君がそれ以上の言葉がないように、私にはもう思い出などないのだよ」
それが人であれ世界であれ、もう自分にはゾディアークへ捧げられた願いを形する使命から生まれた落ちた命なのだ。
それがどういう思い出なのか、聞くだけ無駄だよと首を振る。
エメトセルクは覚えている。
彼と彼を慕う光景を。
やはり思い出とは、酷で残忍な記憶だ。
「ああ、そうだな」
忘れさられた座の話などするべきではなかった、とエメトセルクは小さな舌打ちをして指を鳴らすとその場からすっと消えてしまった。
残されたエリディブスは一人、黙ったまま虚空を見つめた。
「思い出など、私にはない。あるのは宿願のみだ」
そんなものなどあったところで感傷に浸ることは自分に許されないのだ。思い出したところで何も進まない。また一つ、一つと自分の中から欠けていくものがある。だがそれがなんだというのだ。
なんのためのエリディブスだというのか。
ならばその時間すらも惜しんで計画をすすめよう。
そうしていつしかこの胸の虚無が埋まるのであれば、思い出など私にはいらなかった。
