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Hate, sorrow, and

それは自分でも初めての感情だった。
 星の住まう者は皆総じて星をより善くするためにそれぞれの生を謳歌し、そしてまた星の海へと還って行く。それはとても最期だとしても美しく素晴らしく生きてきた歩みだ。
 そうできなかった人たちの魂はどうなるのだろうか。
 寂しい、苦しい、悲しい、憎い。
 抱いたことのない歪んだ感情で押しつぶされ海に還ったとしてもずっとずっとそれは残り続けて汚れ続ける。
 綺麗に終われなかった魂たちは誰が掬い上げるのだろうか。
 この終焉を誰が望んで絶望しなければならなかったのだろうか。
 拭っても拭ってもその黒く渦巻く沁みは身体を中からじゅくじゅくと蝕んで何度も叫んでいる。
 憎い、遺恨、耐え難い痛み、そして憤怒に悲哀に滲んだ心はだんだんと壊れていく。
 こんな感情は初めてだったんだ。
 胸に空いた穴はなくしたものを吸い込もうと必死になって呼ぶのだ。
 会いたい、助けて、助けたかった、私たちの世界を返せと。
 心臓の音はいつだって鳴っている。
 けれど欲しい音は消えたままだ。
 あの日、あの時、手離した温かさは二度と戻らないのか。
 いいや、そうはさせないと爆発する憤怒に涙が零れ落ちるのを頬に感じだ。
 人々は楽園に住んでいた。争いもなく、いつだって笑って大切な人たちと永い時間を共にしていた。
 怒りや妬みなど小さなものだった。すぐにそれは光に変わり包まれ、なくなる。そうして人たちは幸せに生きていたのだ。
 それなのに今ある世界は十四に分かたれた不自然な星たちになって眼前に視えている。
 たった一つの大切で大事な星は砕かれてしまった。
 すべての日常は奪われ、幸せも消し飛んでしまった。
 こんなに憎いと思って泣いたことはこれからもきっとないだろうと叫んで泣いたのを覚えている。
 神に願った人たちの魂がこのままでは星に還ることも出来ずにずっと苦しいまま冥界に漂ってしまう。
 黒い神に願ったことを間違いだとは思っていない。そうしなければ大切な世界を守ることなどできなかっただろう。
 全ては星のためだった。
 なぜそれがわからない、と血が滲むまで拳を握りしめていた。
 こんな世界は間違っている。
 あの美しかった世界に戻ろう、そうしなければこの蠢く憂いも怒りも何もかもの感情が否定し許さなかった。
 黒い神の影が揺らめいて、囁く言葉は破壊だ。
 この十四に散ってしまった星を一つにすればまたあの美しかった世界が取り戻せると頭に響いてくる。それはそこで佇んでいる二人にも聞こえているだろう。
 これは我ら、生き残った人が人たる宿命で悲願になる。
 待っていろ、と輝く星たちを睨み湧き上がるすべての感情をたった一つの願いに詰め込んだ。
 声が届かなくても伝わらなくても、必ず私はやり遂げてみせるとその瞳はほの暗く水面に揺れる月色で失う色をしていなかった。その意思は誰にも砕くことは出来ないだろう。
 彼が握りしめていた手の中にはほんのりと橙色に輝くクリスタルが一つ。
 この強い願いは命尽きるまで燃え続け、このクリスタルを焦がすだろう。
 掠れた声で呼ばれた名前は静かに無音の空間に響くことなく落とされ、彼は目を閉じた。
 そのまま深く、眠るようにー。
 深層まで落ちていく身体は精神をも停止させる。今は眠れ、と誰かが言っていたがそれが誰なのかわからないほどに重く引き摺られる。
 眠れば胸に空いた穴はそれ以上拡がることなく形を留めて壊れないよう、蓋をした。
 そうして永い時間の眠りから覚めると涙を見せることはなくなっていた。
 果てしない時間を必要とするだろう宿願のために悲しみはもういらなかったのだ。それよりももっともっと憎み、壊すこと考えるようになった。
 オリジナルアシエンと呼ばれるようになった三人はそれぞれどうすれば世界は元の一つに戻れるのをその古代から蓄えてきた知恵で導き出す。
 たった三人では足りないと、星たちから十四人委員会の座の器を探すことから始めた。散った魂はまたどこかで生まれ変わっている。それはどんな世界になっても変わらない。ならばその魂を見つけ、召し上げて思い出させれば彼らなら世界統合の願いを成し遂げる力になるだろう。
 そして一つ一つ、散った魂を見つけ星を圧壊し元の形と魂を取り戻すことを何年、何千年と繰り返していく。
 アシエンとなった己たちに死はない。
 黒き神、ゾディアークを復活させ最後には贄になった真なる人をまたもう一度この世界に呼び戻すのだ。
 そう、友にも誓ったのだ。
 必ずまた会おうと。
 永い眠りから覚め、また一つの願いが進めば彼は瞼を下ろす。
 オリジルアシエンのラハブレアはまた眠るのか、と嗤っていたが必要だから眠る、と言って踵を返すと後ろに手をひらひらと振った。
 何千年と起きていると心に歪みが出来る。
 蓋をした悲しみが襲ってくるのだ。懐かしい匂いを求めて身体が締め付けられ、息が苦しくなる。
 身体に死などなくても、このままでは心は壊死していきそうだった。
 そして眠ればまた心は護られ、また強くなれた気がした。また一つ殻を被せて強く補強する。自分が壊れるわけにはいかないのだ。
 先へと進む決意が揺るがぬよう懐かしい影をただの思い出にして。
 思い出、という言葉に彼はふと赤い仮面の中から視線を落とす。白い髪が無重力の空間で揺れることはなかったが、耳に掛けていた房が少し頬に零れた。
 彼はパチンと指を鳴らすとそこから姿を消すと同時に大きな創造魔法を頭の中で構築し、身体を飛ばした星に降り立つと両手を上げて腹の中心に力を込める。
 彼に魔法の詠唱など必要はなかった。
 想えばそれを具現できるほどに魔力は強く、尽きることはない。
 空気が歪み、ざわついて地面の中から地響きが聞こえ揺れた。
 最後に指を擦って鳴らせばそこに唐突に生まれるものがあった。
 聳え立つ曲がりくねった塔、高く高く頑丈で崩れることのない美しい石で創られた建物にはめられたたくさんの窓は煌々とした明かりがまるでそこに人がいるかのように灯る。
 石畳の道が出来上がるとそこには大きな樹が生え、長く続く道のりを作り奥には階段を作り上げた。
 大きな建物が彼を見下ろして懐かしい景色を作り出す。
 ここのは楽園だった都市、叡智のアーモロートだ。
 人がここですれ違い、語り合い、笑いあった素晴らしい場所。
 決して本物ではない幻だったがこれは彼の集まった願いだ。
 ああ、と嘆息すれば焦がれる想いに胸が高鳴る。思い出せる懐かしい日々はいつでも朗らかで幸福だった。
 コツリと足音を鳴らせばそれもあの頃と同じだった。
 けれどそこにはあの人たちの面影はない。
 たった一人で佇み、壮麗だった都市を眺めた。
 私の願いが叶った時にはこの街にまたあの溢れる笑顔が戻ってくるだろうか、と羨望する。
 求めるものはただ一つ。
 幻影で終わらせてなるものか。
 またこの街に戻るのだ。
 胸に手を当てると心臓が早打っているのがわかる。
「やあ、エメトセルク」
 ふいにそんな懐かしい声が聞こえた気がして息を詰めて振り返った。
 だがそこには誰もいない。
 聞こえるわけがない声に口端を歪め、愚かな自分に嗤った。
 この幻影は自分に何をすべきかを突き付け搔き立てる。
「私はアシエン・エメトセルクだ。私が愛した世界を必ず取り戻してみせるさ」

 

 

 

 

 

 

 

「またここにいたのか」
 頭上から降ってきた声は落ち着いていて流暢な声色だった。
 黒い靄から現れた男は彼と同じ黒い法衣姿だ。仮面の色は赤くても模様は違っている。
 声を掛けられた彼は幻影都市のアーモロートの高いビル群を一望出来る場所に腰かけて眺めていたところだった。
「お前は目が覚めるといつもこの都市を創る」
「別に悪いことじゃあないだろう?余った魔力で創っているだけだ」
 肩を竦めて小言を言う男に振り返り笑い掛けるが、その男に笑みはない。
 この男が笑わなくなってどれぐらいの時間が過ぎただろうか。
「思い出を大事にするのは大切なことだと思わんか?ラハブレア」
 そうすれば愛した世界へと一歩また一歩と近づける、と立ち上がりながら歌うように零した。
 しかし語り掛けたその人はフンと鼻を鳴らし、腕を組む。
「我々はゾディアーク復活のために星に災厄の種を植え付けるのが仕事だ。思い出など過去にしかすぎん」
 その言葉はあまりにも真面目すぎていて思わず眉を顰めたが口端を上げて、「はいはい」と、呆れた返事をした。
 いつしかラハブレアは眠らなくなってしまったし、昔を懐かしむことをやめてしまった。何万と時が過ぎれば擦り切れていく想いもあるのだろう。
 エメトセルクはそうはしなかった。
 心を芯が焼き切れてしまう前に瞼を重くし、そしてまた思い出す。
 どんどんとそうして膨れ上がるあの日々の恋しさを隠し、強くする。
「ラハブレア」
「なんだ」
「少しは肩の力を抜けよ、そうしないとー」
「エメトセルク」
 そうしないと見失うぞ、と続ける言葉を名前で遮られる。
「お前に言われなくてもわかっているさ、私たちの本懐など」
 ラハブレアをそう言うと幻影に揺らぐ愛していた都市の遠くを見つめていた。
 こんな感情は生まれて初めてだった。
 こんなにも恋しくて恋しくて仕方ない世界があったなんて。
 当たり前だったものはあっけなくなくなることも。
 この眩い世界が憎いと、目を細めて願うものは一つ。
 この戦いは魂のぶつかり合いだ。
 届かなくても伝わらなくても、そうしなければならないと背負ったものたちが私に囁くのだ。
 帰りたい、と。

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