
Good night
熱い吐息、熟れた熱と溶けた熱情が糸が絡み合ったみたいに解けないままぎゅっ、と結ばれる。
その瞬間が来るまでいつでも堪らなく苦しくて早く早く、と堰を切って身体が心を焦らせてくるのだ。
触れた肌、息、視線すべてがぼんやりとしてもうこれ以上は理性を保っていられない、と弾けると身体の中心がカッと熱くなって渦巻いていた欲情を感情と一緒に吐き出してしまう。
それはいつもとても気持ち良くて、放たれた瞬間に満たされるものがあった。
それが果たして何になるというのか、という質問は自分自身もわからなければ、自分に覆いかぶさっている白と黒茶の髪を揺らしている中年の男も答えられないだろう。
これはとても、非常に、歪な関係で。
拘泥、というものだろうか。
それとももっと淡く綺麗なものだろうか。
薄らぼんやりと滲んだ頭の中で考えても答えはでない。
このエメトセルクという男は自分を人のなりそこないだと卑下しておきながらもこうして人のように身体を抱くのだ。
薄明りの仮住まいのクリスタリウムの部屋は殺風景だった。必要最低限のものしかないと言っていいだろう。
身体を休めることが出来れば十分だった。
少し寝ていたらしく、転がっていたベッドの軋む音で目が覚める。半裸のままだったようで空気の冷えを意識するとくしゃみが出た。
「あれ?」
と、その視界の先に黒い影を見て目を擦る。
薄闇に見えるその背中に彼は掠れた声で呼びかけた。掠れているのは寝起きのせいかそれとももっと別の何か、のせいなのかはあまり考えたくない残滓だ。
「めず、らしいな。まだいたんだ」
いつもならその人物は目を覚ますとこの部屋にはいないことが多い。勝手に来ては勝手に出て行く。招いたつもりはないが、この男も自分に引けを取らず強引なのだ。
それなのに今夜は珍しくまだ同じベッドにいた。
「エメトセルク?」
声をかけても返事がない男の名前を口にして首を傾げ、半身を起こした。
彼は自分とは違い薄いシャツを羽織り一枚のどこから持ち出してきたかわからない黒いガウンを勝手に着ている。
エメトセルクは重い溜息を吐いて、「見ろ」と窓を訝しげに指を指した。
「雪だ」
そう恭しく言ってまたため息を吐く。
「こんな寒い夜に誰が出ていくか」
その声は相変わらずだるそうでめんどうくさそうな重力をもっている。
確かにカーテンが開いたままの窓を見ると暗闇の中に白い粉が降っていた。
「へえ、アシエンでも寒いのは嫌なのか」
彼は意外だと言って口元を緩めた。
エメトセルクは当然だ、と言って外の寒さを想像したのか肩を震わせる。
くるり、と顔を向けるとその表情は心底嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
「ガレマール帝国も寒冷地なんだぞ、いい加減寒いのには飽き飽きだ私は」
まぁしかしアシエンともなればなりそこないとは違って寒暖など感じなくもない、とどこか得意げに付け加えた。
「だからと言って寒くないとは言っていない」
さらにそう言ってまた視線を窓の外へ向ける。
焦げ茶色をした髪の彼は胡坐を掻くと膝に肘を突いて、なんだよそれ、と笑った。
けれどなんだかエメトセルクのその丸まった背中が暗く寂しそうに見えてしまった。
その視線の先に何を彼は見ているだろうかと、不安にも似た焦燥を感じる。あんなに交わっていた視線がさっきまであったというのに彼は別の何かを見ている気がした。
「私が今晩ここにいては困る理由がお前にあるのか?それともこんな夜に私を放り出すのか英雄様は」
嫌味をたっぷり込めた声色は意地悪い微笑みを口端に浮かべ、彼を振り返った。
まったく、とこちらがため息をする番だ。
「ご勝手にどーぞ」
そう言って自分の空いている横のスペースを叩く。
「あんたも人恋しい、て思うことあるんだな」
「なんだと?」
ぽつりと言われた言葉にエメトセルクは顔を顰める。
「だってそうだろ?でなきゃあんたがここで寝るなんてことないだろ?」
誰かと肩を並べて寄り添って寝ることなど遥か昔の時代以外にあっただろうか。確かに子を成して築き上げて帝国の覇者となった時に伴侶という存在はいた。
それとは確かに人が生きる過程の中での共に行動し、知り、自分の宿命のために利用した。
それからもう随分と一人だった。いや、それよりずっと前から。
エメトセルクを窪みくすんだ眼を落とし、口を閉ざす。
しばらくして寝ているこの男を見やりすぐにいつものように部屋から出るつもりだった。この男に触れていると思い出す熱に焦がされそうになるが、一度触れてしまうとどうして思い出さない、どうして忘れた、その魂はやはりなりそこないにしかすぎないのかという滲ませた憎しみを何度もぶつけたくなる。
未練がましい、と自らも思う。
今夜はなぜか留まってしまった。
寒いというのはこじつけなのか自分でも定かではない。
ただ本当に寒そうで出たくない、と思ったのも本当のこと。
そして人が恋しいと言われて図星なのかもしれないと一瞬で納得しようとしてしまったのも本当のこと。
(ああ、本当にこの男は厭になる)
知らず知らずに人の深層に触れてくるのだ。
不躾に入り込んでくるがそれは不快でもあり、愉快でもあった。
「お前が人恋しいの間違いだろ、私はアシエン・エメトセルクだぞ、そんな感情を持ち合わせていない」
はっ、と肩を竦めて嘲笑う。
彼は小さなあくびをするとエメトセルクの台詞に「それは失礼しました」と、適当な返事を返してシーツを手繰り寄せて身体を丸めて入り込んだ。
「おい」
一人勝手に眠る体勢になった彼を見てエメトセルクは不服そうな声を零す。
「勝手にどうぞ、て言っただろう?あんたの好きにどーぞ」
俺は明日も早いんだ、とまたあくびをして告げる。
エメトセルクはまた窓の外を見てからシーツに一人包まる彼を見る。なんだかとても不本意な気がして唇を噛むと渋々彼が叩いて空いている隣へと移動した。
横になった彼は人懐っこい目をにやりと笑って、「どうぞ」と言った。
「ふん、お前が朝早くても私は寒いから行かないぞ」
文句を言いながら横になったエメトセルクの白と黒茶に分けられた前髪が混ざって乱れる。二人分の体温が合わさってシーツの中は外の寒さなど気にならないほど温かくなっていく。
なりそこないでもアシエンでもこの体温は変わらないんだな、と今更ながら思うと彼は眠気に誘われながらエメトセルクの顔の下に頭を擦り付けた。香る匂いは清潔感のある石鹸の香りだ。
鼻腔を刺激するその香りとふわりと顎に擦れてくる髪に戸惑ってしまう。
これは一体誰だ、と錯覚を起こしそうになるほどそれは似ている。
「おやすみ、エメトセルク」
吐き出した安らかな吐息と共にそう告げると重たくなっていく瞼の中に意識が沈んでいくのを感じだ。
まるで愛おしそうに寄り添ってくる青年に対して少し驚いてしまったのと久しぶりに聞く言葉にすぐに返す言葉を失ってしまっていた。
寝息を数秒で立て始めてしまった彼にはその驚きは伝わっていない。
なんの変哲のない言葉だ。
体温を分け与えながら安らかに眠ることなどあっただろうか。
それはもう遥か昔の記憶でしかないのに、今でも鮮明に思い出せるほど彼の熱と言葉はある種の魔法だ。
(ああ、あいつもそうだったなー、)
エメトセルクも瞼を下ろすと心地の良い静かな心音を聞きながら微睡に意識が囚われていく。
知っている温かなエーテルが流れ込んでくる。これは彼が彼である確かな色だ。懐かしく、愛おしく、憎い色。
やはりその色の幻影を求め続ける自分は愚かなのだろう。
それでも、どうしても、この想いだけはいくら世界が枯れていこうが褪せることはなくいつまでも滾る色を燃やし続ける。
導かれるようにエメトセルクは夢を見る。在りし日のなんの変哲もない時間をー。
「まったくお前は、今日もここで寝るのか」
夢の中でそう呆れているのはエメトセルクで、彼の胸辺りにはもぞもぞとシーツの中を下から上がってくる人の塊だ。
「ええ、いいじゃないか、だって寒いし」
これはいつかの夜だ。それはとても寒い日のことだった。
「私はお前の暖を取るイデアじゃないぞ、アゼム」
上まで上がってくるとその人は髪の毛をくしゃくしゃにして、顔を出しと満面の笑みを浮かべてそこからどんなことを言われても退こうとはしなかった。
むしろ足をエメトセルクに抱くつくようにして絡めて離さない。
いいだろ?とあどけなく見上げてくる顔にエメトセルクは少し頬を赤らめると自尊心を保ちながらため息を吐いて、勝手にしろを諦める。
「君の傍だとよく寝れるんだ」
そう言ってアゼムはエメトセルクの腕の中に納まると、「君が一番いい」と満足そうに笑った。
「それは私以外とも試した、ということか?ん?」
エメトセルクはアゼムの頬を指で摘まむと片眉を上げて聞き捨てならない台詞だな、と質問する。
アゼムは違う違う!と訂正してエメトセルクだけだよ、と妙に色づいた双眸でエメトセルクを見つめた。
「つまり俺をいつも温めてくれるのは君だけ、てことだ。なんだい?ちょっと嫉妬でもしてくれたの?」
もしかして他の誰かとこんなことしてると思った?とからかってみるとエメトセルクは鼻を鳴らしてからかうな、と声を響かせた。
エメトセルクはアゼムを首の後ろから片手を回して、横になりながら抱き締めると頭に頬を擦り寄せて目を細める。
「お前は温かいな、」
そう呟いた声はどこか眠そうだった。
アゼムはエメトセルクに腕を掴んで頷く。
「君もね」
懐かしく響く声は夢の中でも心地よく耳に残っている。
「おやすみ、ハーデス」
眠りを誘うその声色に目を閉じた。
聞こえた声は夢の中なのか、それとも現実なのか。
自分の隣で眠り人はどちらも変わらない。
この心地よさも。
明日の朝にはなくなってしまうであろう熱をエメトセルクは強く抱きしめた。
それは夢の中の自分もそうじゃない自分もー。
おやすみを告げる人を想う心に偽りはしなかった。
