
Acta est fabula.
幻影都市アーモロートは海の底の底で誰にも見つからず、見られることもなく、ゆらゆらとその荘厳な都市の陰を薄緑色の海底で揺らめいている。
その姿は一万二千年前のあの美しい姿のままでわかる人ならば感嘆してしまうだろう。
だがもうその素晴らしい再現を認めてくれる近しい者はいない。こんな幻想はただの己の愚かな過去への懐かしさと戒めのようなものだ。忘れるな、お前はなんのためにこの長い長い時間をどんなことをしてでも生きてきたのだ、と悲願の想いへのあと一歩へと歩むため。なんだってやってきた。星のため仲間のためになんだって。
それが今のなりそこないの世界の住人にどう思われようが、それは人の言葉をしゃべるだけの半端者だ。そんな半端者たちよりもっと生きていなければならない人たちがいることをエメトセルクは望んでいた。
しかし、それは本当にそうだろうか、とこの第一世界をなりそこない英雄一行と行動を共にして思うようになった。いいや、それは気づいてしまった、という言葉の方が正しいのだろうが、彼は認めなかった。
あれは人ではない。
あの魂はアゼムではない。
ただのなりそこないの半分もない魂をその人であることを認めたくなかった。
それは目をそらしている、ということなのかもしれないがそうだとしてもいずれわかることだ。
あの英雄が何を選ぶのか。その時がこれば自ずと互いの譲れない想いと答えがぶつかりあって生きるか死ぬかを繰り返すだけだ。
エメトセルクは黒い背中を丸めて大きなベンチに座り、ふっと自嘲した。
何万年もそうしてきたのだ。
今だけが特別ではない。
いつだってあの魂は自分とぶつかって、そして破れ散っていった。あの魂を視るのは決して初めてではない。自分と対峙して生きる人たちを救っていた。どの時代でも決して彼はこちらの手をとらなかった。
「やあ、こんなところにいたのかい」
ふいに頭上から降ってくる聞き慣れた懐かしい声にエメトセルクは顔をこわばらせ、左耳の小さなピアスを揺らした。
大きな影が自分を見下ろしていて、エメトセルクは大きなため息を吐く。
そういえばこんな泡も創っていたらしい、と我ながらの膨大な創造魔法に驚きもする。
その大きなヒト、と呼べる者はエメトセルクを見て仮面の奥で笑っていた、気がした。
「ヒュトロダエウス」
「おや、ワタシの名前もきちんと創造してくれていたようだね。キミは随分と小さくなったし老けたみたいだ」
エメトセルクは大きなお世話だ、と皮肉そうにその大きくて黒いローブを纏っている白い仮面の者を見上げ、嗤った。
「ここは私が創ったんだぞ、その昔の荘厳だったあの頃の美しい街並み、そして談笑しいつまでも耐えない言論の投げ合い──」
ちらりと木々が茂ってい公園へと視線をズラせば、彼と同じような大きさのヒトたちが互いの言葉で強く論争しているようだった。
「この海底はあのままのアーモロートだ。お前だって、そこにいただろう」
肩を竦め、手を広げてエメトセルクは口端をゆがめた。それはこの情景を創り出したことへの自惚れと、それと同時に物寂しさが滲んでいた表情だった。決して誰にもわからない彼だけが持ち得る憂いだ。
過去の栄華と大切だった人を求め、どんなに絶望しようが己が正しいのだと突き進んでいるからこその声。
「そうだね、けど足りないものがあるみたいだ」
ヒュトロダエウスはそう笑いながら言うと、辺りを見渡した。
「彼がいないようだけど」
幻影であることはわかったいるが、その中に大切なピースがないことに気がついてヒュロトダエウスは首を傾げる。それにおかしなことに、いないのだけどその色はエメトセルクが持っているのだ。どうしてキミが彼のクリスタルを持っているんだい?と、聞けばエメトセルクは目を細めてあざ笑った。
「そのうち来るさ、嫌でもな」
答えになっていないよ、と問えば彼はまた鼻で笑い手のひらの中に橙色のクリスタルを浮かばせてまた消した。
「キミは本当に真面目だね」
ヒュトロダエウスは口元に手を当ててくすくすと笑った。姿は少し変わってもその心根はいつまでもかわらないのが本当に彼らしい。
「ワタシは何も悔やんではいないよ、自ら望んだことだ」
エメトセルクの宿願が何たるかを知っている。こんな素晴らしい幻影を創り出すほどに彼はかの時代にあったあの世界を取り戻したい一心なのだ。それはゾディアークに捧げられた囚われた同胞の魂を救うことも。
エメトセルクは渇いた笑みを浮かべ、
「そうだろうがそうじゃなかろうが、私が望むことはたった一つだ。そうでなければならない」
この世界は間違っている。なりそこないの人形たちが我が物顔でのさばり、さらにいつの時代でも争い自ら破滅に向かっている姿を見ると反吐が出そうだった。
何万と前から生きる自分たちならばそんな争いもせず星を穢すことだってなかったのだ。今のヒトには何も希望は望めない。一つのあるべき星の姿に戻すことが何よりも大切なことだった。
そうでなければならない。
そうでなければ救われない。
眉間に皺を寄せて苦悶するその窪んだ瞳の色は昔とは違い、濁った金色を彩っていた。
「キミがここにいると、ワタシも勘違いしてしまいそうだな。懐かしいあの日々が帰ってきたみたいだ」
それにはもう一席足りないけど、と付け加えて空ではない海を見上げた。
「ワタシはいつでもここにいて、キミたちを待っているよ」
それは世界がどう変わろうが、ヒュトロダエウスの想いはそこから動くことはなかった。
エメトセルクは淡い光の包まれたローブを纏うヒュトロダエウスを見上げ、唇を結ぶ。
「私はもうごめんだ。待つことも、過ぎることも後悔も」
吐露したものは積年の思いと願いだ。
誰を待つのも時間が過ぎていくことも、心が死んでいくことを咎めることももうおしまいにしたいのかもしれない。
だから託そう、と願った。
もしかしたらと思わせる今を生きるその人へ。一縷の望みに自分の砕けぬ想いをぶつけることでこの長く続いた苦しみに終止符が打てるかもしれない。
「エメトセルク」
ヒュトロダエウスが声を掛けるとエメトセルクはこつりと足を進めた。
その背中はずいぶんと丸くなって孤独と責務を十分すぎるほどに背負っているように見えた。それを見ていることしかできないことにヒュトロダエウスは黙ることしかできなかった。
自分は彼に創られた仮初めだ。
その仮初めが何を言ってもただの感傷でしかない。
エメトセルクを助けることは叶わないのだ。
「私はもう行くぞ。やっかいな連中を連れてあいつがやってきそうなのでな」
やれやれ一人で来いと言ったのに、と恭しく揺らめく泡のような憂鬱の声だった。
「じゃあな、ヒュトロダエウス」
そう言ってエメトセルクは指を鳴らし、目の前に出現した膨らんだ黒い靄の中に消えてしまった。
「・・・・・・あれ?」
彼に掛ける言葉がなかったことに悔いる間もなく、ヒュトロダエウスは消えたエメトセルクの場所に小さなものが落ちていることに気がついた。
「これはアゼムの?」
その小さく橙色に光るものは第十四の座であるアゼムが持つシンボルが刻まれたさきほどのクリスタルだった。
ゾディアーク召喚に反対していたアゼムは十四人委員会から除名され、姿を消してからは当然そのクリスタルも行方不明になっていた。それを彼はずっと大事に持っていたというのに今になって捨てていくなんて考えられない。
さっきまではそんなものは落ちていなかった。彼が確かに手のひらに持っていてそれを弄んでいたのを見ている。ということは彼がここに【落としていった】と明確だ。
そう、これは誤って落としてしまった、ということではないだろう。
「キミは本当に変わらないね」
ヒュトロダエウスは仮面の中で懐かしい笑いを浮かべ、そのクリスタルを拾い上げた。手のひらで輝くその色はまるで小さな太陽だ。
エメトエルクは生真面目で自分では気がついていないかもしれないが優しく思いやりがある人だ。そして人を信頼している。
これを自分ならどうするのかを知っているからこれをわざとここに残していったのだ。
しかしそれはもう別れを意味している。
自分にはこれを持っていることが出来ないと。ならば然るべき人に手渡しておく方が賢明だろうなんてことを考えたに違いない。
実に彼らしい。
そしてアゼムのクリスタルをヒュトロダエウスがどうするのを委ねた。
「そしてキミはひどい人だ」
これをどうするのか、という選択肢にヒュトロダエウスはクリスタルを握りしめて苦笑する。
お前はいつだって正しい選択をする、と昔の言葉を思い出した。それは買いかぶりすぎだよと言っても、エメトセルクは本当のことだと言って輝く金色の瞳を細め口元だけで笑ったのをよく覚えている。
最近のようで遙か昔に感じる懐かしさだ。
この濁った海底で誰が来るのを待つ、自分が何をすればいいのかはその時の自分の心のままに任せよう。
きっと彼はどう選択しても怒らないだろうから。
「ああ、懐かしい色が視える」
冷たい海の底に灯る魂の色を見つけて、ヒュトロダエウスは微笑んだ。
懐かしいキミ、どうか彼を助けてやってほしい──。
そう祈るように、幻影の都市アーモロートの空という海を仰いだ。
