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聞こえない色と見える色

ヒュトロダエウスには親しい友達が二人いる。
 幼い頃から一緒に過ごしてきたハーデスと未来のアゼムの座としてこの街にやってきた少年。
 ハーデスはよく知っているがもう一人の少年はとても不思議な色を内に秘めていていつもその色はコロコロと虹色に変わる魂の持ち主だった。
 人のエーテルとは色がある。その色がそんな風に輝くのをヒュトロダエウスもハーデスも見たことがなかった。
 魂の色の視える二人だから、そのアゼムの座になる少年に興味を持ったのかもしれない。最初はそうした興味本位だろう。
 それが今ではいつの間にか三人揃うことが多くなった。
 彼はいつでも面白いことを探してきてワタシとハーデスに聞いてくれ、と隣の席に座る。それをワタシはにこやかな顔をして聞くが、ハーデスの表情と言えば頬杖を付いたまま、くだらない、というジト目で彼を見つめていた。いつだって彼が持ってくる話題は面白かったし、巻き込まれればただでは済まないことばかりだ。
「巻き込まれる身にもなってみろ」
 と、よくハーデスは眉間に皺を刻んで呆れていた。
 彼が真ん中で笑い、その両隣にはワタシとハーデス。
 いつの間にかその形が定着していた。
 そんな三人の関係が最近変わったのは最近だ。
「なぁ、ヒュトロダエウス」
 アカデミア内にある広い食堂の片隅で食事を取っていれば目の前の空いた椅子にどかりと茶髪の少年が座った。
「なんだい、そんな神妙な顔をして」
 いつもなら飄々とした顔で明朗な声で肩を叩いてくるのだが、今日の彼はどこか思いつめた顔だった。
 透き通った色をしたエーテルも曇っているようだ。
 彼は頬杖を付いて、顔をヒュトロダエウスの方に近づけてくる。
「最近どうもざわざわするんだ」
「ザワザワ?」
「このあたりが」
 そう言って自分の胸に手を当てる。
 彼はため息一つ吐いてからヒュトロダエウスの前にあったコップを勝手に掴んで、中の水を飲み干した。
 身体の調子でも悪いのだろうか、と首を傾げるとヒュトロダエウスはその瞳を細めて、もう一度どうしたんだいと聞く。
「何かまたいけないものを食べたのかい?」
 そう言えば前日はまだ未承認だという植物を食べてみた、と言っていたがそのあと彼がどうなったのかはまた別の面白い思い出だ。
「君までそういうことを言うのかい?」 
 失礼だな、と彼は盛大なわざとらしい溜息を吐くとヒュトロダエウスはくすくすと笑う。
「冗談だよ、ワタシに相談する前にハーデスには聞いてみたの?」
 ハーデス、という名前が出ると彼はギクリと妙に肩を揺らした。
「そう、ハーデスだよ」
「ハーデスがどうかしたの?」
「彼の傍にいるとさっき話したようになんだか落ち着かないんだ」
 彼はうーん、と唸り腕を組みながらそう呟くと本当にわからない、という様子で考え込んでいた。
 ハーデスと長い付き合いのヒュトロダエウスに聞けば何かわかるかもしれない、と思ったがとも付け加える。
 そう聞かれたヒュトロダエウスは思わず吹き出して笑いそうになるのをなんとか抑え、彼の名前を呼んだ。
「キミ、わかってないの?」
「何が?」
「そのザワザワする正体」
「うん」
 こくりと頷かれるとヒュトロダウエウスは我慢の限界だ、と仮面の中の瞳が面白おかしく弧を描くのをやめられなかった。
 彼は素直だし自分の知らないことを積極的に探究もする精神を持っている。アーモロートは叡智の街だ。そこにある知を知ろうとし、自分自身の足で確かめるのが好きなのはやはりアゼムの座の後継者と言えるのだろう。
 だがしかし彼は非常に鈍感なところがあった。
 他人のことはよく知ろうとし心配もして手助けもするが、自分自身のことをわかったいないのだ。
 その胸騒ぎが何なのかをわかっていない。
 ヒュトロダエウスはにっこり笑って目の前にある彼の手を掴むと、
「キミはハーデスのことが好きかい?」
 と、直球で聞いてみる。
 そうするとその顔は白い仮面をかぶっていてもみるみるうちに赤くなったのを捉えた。
「す、好きだよ。ヒュトロダエウスのことだって俺は好きだ」
 なんでいきなりそんなことを聞くんだよ、と掴まれた腕を慌てて引っ込める。
 ヒュトロダエウスはふうん、と返事をして腕を組む。
「けどその好きは一緒なのかな」
 ハーデスのことが好き、という言葉とヒュトロダウエウスのことだって好き、の言葉大きな差があることを彼自身は気付いていないのだ。
 いや、気付かないフリをしている、かもしれない。
 他者であるワタシから見る二人は特別だ。
 それは決して一緒の好き、ではない。
 特別な好きだ。
 なのにそれを理解していない彼のことをヒュトロダエウスは心躍る気持ちを抑えながら見つめると、なんだよ、と彼は落ち着かない様子で彼は狼狽していた。
 ヒュトロダエウスは頬杖をして彼を観察しながらその胸の中に光る色を眺める。その色はとても鮮やかで眩しいぐらいだ。
 そんな色をさせるほど、彼はハーデスのことが好きなのだ。
「キミの色は正直なんだけどねえ」
「色?」
 ヒュトロダエウスが彼の心臓の辺りの指で突いてそう微笑んだ。
 ハーデスとヒュトロダウエウスは人の魂の色が見える、ということは知っていた。だからそう言われても今更驚かなかったが、色が正直と言われても理解できなかった。
 肩口に流れるラベンダー色の三つ編みの束が笑うたびに揺れる。
「ハーデスの話をする時のキミがどんな色してるか知ってる?」
 知らない、と彼は首を振るとヒュトロダエウスは手招きして近づいて、とお願いする。
 言われた通りに腰を浮かして立ち上がり顔がくっつきそうなほど寄せるとヒュトロダエウスは彼の耳の傍で唇を開けて言葉を続けようとした。
 その時だった。
「何してるんだ、お前ら」
 頭上から降ってきた声に驚いて彼は思いっきり顔を上げてそのまま椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
 あやうくその声の主の顎を頭で粉砕するところだったが。
「ああっ、ハーデス⁉」
 裏返った声でこの場に登場したもう一人の友、ハーデスにやあ!とどこかぎこちなく挨拶をする。
 ヒュトロダエウスは口元に手を当てながら大きな声で笑いそうなのをなんとか抑えるが肩がおかしいほど揺れているため笑いを隠せていない。
 白髪の少年ハーデスは腕を組むと仮面の中から金色の双眸をまずヒュトロダエウスに向ける。この男は自分が歩いてきていることに気が付いていたはずなのに彼に教えることなく何かを耳打ちしようとしていた。
 ヒュトロダエウスは何も話してませんよ、というようににっこりと笑って、
「やあハーデス、調子はどうだい?」
 と、白々しく言うのがまた憎たらしい。
「毎日顔を合わせているのに調子も何もないだろう」
「あはは、その通りだねぇ」
 ふん、とハーデスは鼻を鳴らして腕組をするともう一人の男に視線を向けた。
 ヒュトロダエウスと話していたところで埒はあかないだろう。どうせ何を話していたかなんて言うはずがない。
「なんだ、やましい話でもしていたのか?二人仲良くこそこそと」
「そんなんじゃないさ、ちょっと相談に乗ってもらっていただけで」
 ぴくりとハーデスの白い眉尻が動く。
「ほう、相談か」
「そうそう、恋の相談」
 そこに割って入ってきたのはヒュトロダエウスの声だ。
「ヒュトロダエウス⁉」
 そんな相談は一言もしていないのに、と彼は慌てて誤解だよとハーデスにぶんぶん首を振る。ヒュトロダエウスにも違うだろ、と目配せするがにっこりと笑うだけだ。
 ハーデスは真顔で彼をじっと覗き込んで、唇の端を上げる。
「お前が恋ね」
「だから違うんだってば、ちょっとヒュトロダエウス!変なこと言わないでくれよ」
「ええ、違ったのかい?ワタシはてっきりそうだと思ったんだけど」
「ヒュトロダウエウス!」
 からかうのもいい加減にしてくれ!と、彼は突然のことに周りを気にすることなく声を荒げて顔を真っ赤にする。
 そんなつもりで聞いたわけでもないし、ただ自分はハーデスといると胸の辺りに潜む音の正体を知りたかっただけだ。それを茶化されるように言われてしまうと居ても立っても居られない。
 しかも話題にしていた本人におかしく伝わってしまったことがとても恥ずかしくてこのまま誰かのイデアを借りて溶けてしまいたかった。
 ハーデスはそのまま目を彼へと向けると青い目と出会った。思わず彼はうっ、と声を詰まらせる。
「だから、その、違うんだって、それじゃあ、その、またな!」
 このままここにいたらどんどん墓穴を掘ることになるかもしれないと危機感を感じて、彼は脱兎の如くその場から逃げ出してしまった。
 それをぽかんと口を開けて見やるハーデスとテーブルを叩きながら笑いヒュトロダエウスが見送る。
「おい、お前またあいつのことをからかっただろう」
 何を吹き込まれたのか知らないがあの様子では完全にヒュトロダエウスの玩具にでもなっていたのだろう。
 あれは素直な分人の話をすぐに信じるし疑わない。
 このヒュトロダエウスという男は魂が視えるからではなく、その人の姿と話を聞いて悪気なく人をからかうのが好きなのだ。
「ええ、そんなことないよ?本当に相談に乗っていたんだから」
 あー面白かった、と零れそうになる涙を指先で拭ってハーデスを見上げた。
 ハーデスはまた不機嫌に鼻を鳴らしてヒュトロダエウスを睨んだ。
「で、何を話していたんだ?」
 冗談はさておき、とハーデスが催促する。
 ヒュトロダエウスはにやりと笑って、
「聞きたいの?」
 と、こちらは上機嫌に声を弾ませる。
 ハーデスは少しだけ気持ちがイラついたが、さっきまで彼が座っていたところに座ると目の前のヒュトロダエウスはを見た。
 さっき自分が来る前の彼とヒュトロダエウスの距離がとても近かったことに対して思わず大きな声を出してしまった、と反省している。
 そんな些細なことを誰も気が付いていないだろう。
 こそこそと内緒話をする二人の姿を見て、急に焦ってしまったなんてらしくないと。
 あんな風に楽しそうな顔をしてヒュトロダウエウスと話をしていることに嫉妬してなどしていない。
(嫉妬?)
 過った心の声にふいに疑問を送りたくなった。
 なぜ私が嫉妬をしなくてはいけないのだ、と。いつものことではないか、ヒュトロダエウスとあいつが話をしている姿が珍しいわけでもない。
「……いや、別に」
 聞きたいの?と聞き返されたことにハーデスはぶっきらぼうにそう答えるとヒュトロダエウスはふうん、と唇の端と端を上げる。
 彼は素直な故に気が付かなかったが、このハーデスという男は素直という感情が表面からかけ離れており気が付かないフリをするのが上手い。しかし内面では面倒見がよく、相談され頼られれば最後まできちんと助けてくれる。
 言葉は素っ気なくても関わってみれば彼がとても情に熱い男であることは付き合いが長いヒュトロダエウスは知っている。
 そしてハーデスが彼を見る目が違うことも。
(本当に二人共素直なんだか素直じゃないんだか)
 ヒュトロダエウスが一つため息を吐けばハーデスがなんだ、と問うてくる。
「キミも彼も本当に見ていて飽きないなぁ」
「どういう意味だ」
 意味によっては怒るぞ、という態度が滲み出ていた。
「あんな風にキミを見て様子がおかしくなる彼もそうだし、彼とワタシが仲良くしてるのを心ここにあらずみたいな顔しているキミを見ているワタシの身にもなってよ」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声が出てしまう。動揺、も混ざったような声だったことをヒュトロダエウスはわかっている。
「私は別にそんな風に思っていない」
 ハーデスはヒュトロダウエウスが口走る言葉に首を振る。
 こいつはまた何を言い出すんだ、と。
 しかしヒュトロダエウスの髪色より輝いているアメジストの目はふざけて言っているのではなく真剣な様子だった。
「キミが早く気が付かないと、ワタシがもらってしまうよ」
 ガタンと席を立ち上がりながらヒュトロダエウスはまるで宣言するようにハーデスに告げた。言っている意味がわからない、とハーデスは首を傾げるがそれ以上ヒュトロダエウスは何も言わなかった。
 魂を視ようとしなくたってハーデスだってまた彼と同じ色をしている。その輝きの正体を知らないのが本人たちだなんておかしな話だ。
 しかしそれをワタシから告げることもまたおかしなことだろう、と一人で笑う。
 いつかこの気が付かないフリした感情は嫌でも知ることになるしわかってしまえばこの関係もきっと早いんだろう。
 ああ、なんて歯痒いんだろうかとヒュトロダエウスは哀愁の嘆息を吐く。

 

 ハーデスの話をする時のキミがどんな色してるか知ってる?

 それはとてもとても眩くて何色でもないただただ輝いているキミだけの特別な色だ。

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