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海辺のタフタ

「なぁ、君は海を見たことがあるかい?」
 燦々とした太陽が地上を照らし、風は心地よく凪ぐアーモロートの街の公園で芝生の上に寝転んでいる青年に一人の青年がそう声を掛けた。
 赤い仮面の下で視線が隣に座っているその青年に向く。
 公園ではベンチに座り談義している者もいれば子供たちが楽しそうに遊んでいるのが見えた。大人も子供も毎日続く平穏な時間をただただありのままに受け入れ、永い時間を過ごしていた。
 きっと夜になってもあの大人たちの談義は続くだろう。
「実際に見たことはないな」
 海、とはとても大きなものなのだろう?と、白髪の男は聞いた。
「そうだよ!とても大きいんだ!アーテリアスを覆うのはその海なんだ」
「それぐらいはわかっているぞ、アゼム」
 アーモロートに住んでいるとそこですべてがほぼ完結してしまうし、白髪金色の瞳を持つ青年は仕事柄も旅に出るということはなかった。
 しかし旅をして星を巡ることを職としているもう一人の彼はたくさんのことを知っていた。だからいつもその長い旅を終えて帰ってくると土産話だ、と言って一晩は一人でしゃべり続けているのを仕方なく聞いてやった。
 ちゃんとその話に付き合ってあげている彼はきっと自分ではわかっていないが相当このアゼムという男を大切に思っている、らしい。
「エメトセルクももっと世界を見てみるといいよ」
 アゼムは声を弾ませてそう笑った。
「それはお前の専門分野で私ではない」
 自分の仕事は基本ここで解決する。
 このアゼムが突然召喚魔法など使わなければ、という話だが。
 エメトセルクはため息交じりに何か嫌な出来事を思い出したのか苦虫を食い潰したような声で唸る。
「海はとても青いんだ、この空とはまた違った青でとっても深いんだよ」
 浅瀬は白い砂と混ざり透き通った色をしてだんだんと濃くなっていく。それは深く深く広がるほどにインディゴブルーに沈んでいく。
 エメトセルクはアゼムが海という巨大な水の世界を言葉に乗せ、なんとかこのアーモロートの美しさとはまた違った世界を想像させようとする。
 いつだって彼は世界とはこうだった。
 世界は知らないことが多い。
 触れて感じる温かみを嬉しそうに楽しそうに語る。
 それを聞くのは悪くなかった。目を閉じればその海が瞼の裏に広がり地平線まで真っ青に染めていき、空との境界線が交わる。
「海の底にはまだ知らないことがたくさんあるんだ。先日行った島ではそこで信仰されている神様がいて海の底に神殿があるんだって」
 行ってみたいなぁ、とアゼムは想像力を精いっぱい働かせてその神殿とやらの妄想を膨らます。
「その時は君を喚ぼうかな」
「勝手に決めるな」
 面倒事に巻き込まれるのは嫌だぞ、とエメトセルクはそんな未来を想像してげんなりする。突然海の中へ引きずり込まれるなんて誰だって嫌だろう、と文句を付きながら芝生から身体を起こした。
 エメトセルクの面倒そうな態度はもう慣れたものなのか、アゼムはくすくすと笑い、そうだ、と続ける。
「冥界にも海があるんだろう?」
 現実の海とはまた違うエーテル界に存在する海。
 還った魂たちがその海へと流れ着き、また次の魂へと生まれ変わるためのアゼムも見たことのない世界だ。
 エメトセルクはふと視界の端に浮遊する何かを見つめ、それがパッと消えていったのを見てからアゼムの方へ顔を向けた。その小さな何かはアゼムには見えていない。
 冥界に愛された人だけが視ることができる特別な視界だ。
「ああ、あるぞ。きっとお前が見てきたような海だ」
 しかしそれはとても暗く、透明で輝く青色をしているわけではない。
 静かで波の音すら聞こえないほどだ。それでもその海は優しく揺れ、幾多の魂たちを洗い流し新しい命を与えた。
 冥界へと還る魂はずっと深くまで沈んで泡になる。そこからゆっくりと泡は形をゆらゆらとさせながらミッドナイトブルーの水面へと弾ける。
 弾けた泡は光となって暗い空へと飛んでいく。まるで一つの星になるように。
 数多のその輝きの命はまた新しい人生を歩み始めるのだ。
「いつか俺もそこに漂着するのかな」
 アゼムは眩い空を見上げ、目を細めた。
 いつか人はそこへ還るもの。
「そしたらまた君に会えるだろうか」
 気持のよい風が焦げ茶色の髪を優しく撫でる。
 人の魂は巡る。そうして世界は循環している。次の世界でもこうしてまた同じ時間を過ごせるだろうか。それが少しだけアゼムを寂しい気持ちにさせた。
「またお前の面倒を私が見るのか?御免だな」
 次の人生ぐらいもっと楽にさせてくれ、とエメトセルクは苦笑するとアゼムはひどいな、と彼の肩を肩で小突いた。
「かといって他の奴にお前の面倒もみきれんだろう」
 この自由奔放な男を野放しにしていたら逆に迷惑だろう、とエメトセルクはくっくっと喉を鳴らしながら笑い、アゼムの後頭部をくしゃりと大きな手で撫でた。
「俺、こう見えてもいい大人なんですけど?」
 まるで子供扱いをされたような気がしてアゼムはむっとし、その手を払い、唇を結ぶとエメトセルクの顔を見上げた。
「ああ、そうだったな」
 そう言いながらエメトセルクはアゼムへ優しく微笑んで、ふいに腰を抱き寄せて耳元で囁いた。
「大人じゃなきゃできないこともあるしな?アゼム」
 意図的に触れられた腰から彼の熱が伝わって、アゼムは思わず背筋をピンッとしてしまった。顔の半分は仮面で覆われていてもわかるほど顔を赤くしている。
「君って人は本当に性根が悪い」
 こんなところで誰かに見られたらどうするんだ、とアゼムは慌てるがどちらかと言えばアゼムの方からどこだろうがエメトセルクに触れたがる性分だった。そのたびに公衆の面前で抱き付くな縋るなくっ付くな、と怒られているのが常だ。
 これは意地悪だろう、自分が海の底で召喚しようかな、なんて言ったからからかわれているのだ。
「それはお前の方だろう?」
 エメトセルクは愉しそうに笑い、また頭の下に腕を敷いて芝生の上に転がった。
「今度お前が帰ってきたらヒュトロダエウスも誘って海に行くことも、私はやぶさかではないぞ?」
 仮面の中の瞳から見上げる空は今日も素晴らしいほどに綺麗だ。
 きっとこの空と繋がる海はさぞかし美しいものなのだろう、と口角を緩ませ静かに瞼を閉じた。

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