
未完成のカーネーション
そんなに嬉しいものか、と一人では大きすぎる朱色のソファに深く腰掛けて肘枠に肘を置いてぼんやりと広い部屋を眺める。広いのに自分一人だけだ。
白いシルクの手袋をした手で頬杖を突くとその不健康そうな薄白い頬の肉が少し上がった。
名家に生まれたソルの身体は居心地が良かった。計画のためにガレマール共和国を強国へ作り変えるためにはどうしてもこのガレアン人の肉体が必要だった。
気弱な性格だったソルだったが、エメトセルクに肉体を乗っ取られて以来両親も驚くほどにぐんぐんと次から次へと軍事へ魔導兵器を開発する知能を与え、地位も若年にしては妬まれるほどに上がっていった。
そうして最終的に就いた座といえば、初代皇帝ガレマール帝国の祖だ。
魔法が使えない種族の祖になるとはこの一万年以上生きてきて初めてのことである。なんと不便で手のひらで握り潰せてしまいそうな短い命なのだと軽蔑すらもする。
この私がそんな生き物たちに混ざって生を歩むことになろうとは、とオリジナルのアシエンの二人を恨みもしたくなった。
(まぁあのじいさんと調停者では無理だっただろうな)
こんな役目、自分ぐらいにしか出来ないだろう。世界の演者としても有象無象の演者を操るとしても私以外できないだろう。
エメトセルクは深い息を吐いて、窪んだ目元に灰色の影を落とす。太陽はすっかり白い雲に覆われていて昼間だというのに日は射していない。
この春の季節だというのにこの国は雪解けをしらない。一年を通して真白な雪に覆われ、いつもでも山岳を覆うのは雪、そして雪だ。
それがある意味他国が侵略しにくい、という利点もあった。蛮族共がこの雪国を攻めるには能が足りないだろうとあざ笑う。
そしてエメトセルクはゆっくりと背もたれから背を離し、猫背になりながら膝の前で両手の指を組んだ。その視線はテーブルの上にある白い花へと向けられ、少し前のことを思い出す。
「陛下、カーネーションはいかがでしょうか?」
皇帝となって最初にしたことと言えば、女性に花を贈る、という行為だった。国を治める者には伴侶が必要だと周りがうるさく、そのような女性は一人もいないのかと両親に何度も言われたこともあった。
いないわけではない。
一応、そういうことも予定しどうすればいいのかも計画の一つに入っている。そうでなければこの国を将来崩すことなど出来ないだろう。子を成し、その子供が成長してまたその子が子を産み血統という系譜ができあがる。それが絡み合って生まれるものは決して純粋な愛だけではないだろう。
大きくなった国はいずれ派閥というものを作り中からも争いを始める。ずっとそれはこのひび割れた世界で見てきたものだ。
そしてそれを作り、手助けをするのがアシエンの役目である。
「カーネーションは耐寒もある花です。このガレマルドでも綺麗に咲くでしょう」
隣に立つしなやかで気品のある女性はにこにこと言った。
「それでよい」
エメトセルクはつまらなさそうにそう告げて、この面倒なことからさっさと解放されたかった。
伴侶にしたい女性がいるのであれば、求婚される際に花を贈るとよいとこの女はぺらぺらとしゃべるのだ。皇帝自ら贈ればその人は決して断りはしないだろう。そんなことはこのガレアン人としての誇りで最高の幸せです、とまるで自分かのように惚れ惚れと口にする。
白いカーネーションは純潔の愛の花言葉があるということ、108本の花束にすればそれは結婚してください、ということにもなるらしい。
この人の形をした生き物たちは独自の文化や意味を見つけて生きていることが、ますます気持ち悪いと思った。
だが少しだけ、少しだけだが気持ちが揺らいだ。意味がないと言わずにそうして喜ぶ者がいるのも悪くない、と。しかしすぐにその思慕は吹雪く空のようにかき消されていく。
ご用意させましょう、と女性は深々と頭を下げる。
それがこの目の前にある白いカーネーションの経緯だ。
「こんな花をもらって嬉しいものか」
疑問は疑問で重なって埋まらない。
何層にもなった白い花弁が円形を描き、可憐に咲いている。それが108本も集まれば壮観な白になった。
自分はロマンチストでもなんでもない。
こんなものが求愛の印なるなどと言われても感情の一つも動かないというものだ。
丸くなる背中を伸ばしながら立ち上がり、その花束に乱暴に手を伸ばした。
片手では収まらず、両手で持つと胸の前はカーネーションの淡い香りに埋め尽くされてしまい少しだけ顔を歪める。
ああ、厭だ厭だ、さっさと終わらせてしまおう。
そう嘆息し、金色の瞳は濁る。垂れた目尻には小さな皺を作り一つだけカーネーションの花を千切った。
(私と結婚するなんて、ろくでもない人生になるんだ。幸せなんてなかろう)
まるでそれは結婚してくださいという花言葉をすでに後悔しているように、毟り地面と落とす。この集合した花が108本あろうがなかろうが、人にはわかるまい。
(不完成な人になど不完全なものの方がお似合いなのさ)
薄ら笑いながらそう内心で囁く。
本当に誰かを愛し敬愛してきたのか、それを知るのは真なる人のみだ。この足りない花束を渡したところで偽りにしかすぎない。
純潔の愛や感謝や誇りなどどこにもない。
あるのはただただ空しい昔を懐かしむ記憶だ。
