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アカデミアに入学すると寮で過ごすことになる。いくつかの塔に分かれておりそこには談話室や勉強するための自習部屋が完備され、そこから階段を上がっていくと二人部屋になった部屋が一直線にたくさん並んでいた。もちろん、女性と男性と別れており部屋には小さなシャワー室まであった。
 部屋自体はそこまで広くはない。
 二段ベッドに勉強机、クローゼットと簡素なものでほぼここで過ごすこと言えば寝ることだけに近い。
 昼間は勉強に勤しみ、食事は大きな食堂があるためそこで朝昼晩を食べる。自由な時間と言えば談話室で過ごすか中庭など各々の場所で過ごす。
 知恵が集まる都市、アーモロートのアカデミアの設備はアーテリス中探してもないだろう。各地からこのアカデミアに入学したくてわざわざ故郷を離れてやってくる若者も多くここで得た学問を生かしてこの星をよりよくするために大人になっていく。
 学生ながら星のために熱く語り、朝から夜まで議論している者たちもいる。
 そんな中で一際噂で持ちきりの若者がいた。 
 名誉ある十四人委員会の第十四の座であるアゼムの弟子が今アカデミアに在学しているということだ。
 将来のアゼムの座を約束された少年に当初から注目が集まっていたが本人はあまり気にしておらず、だからなんだいという風にけろりと笑い明快で快活な至って普通の少年だった。取り立てて美しいとか、背が高いとか知識が豊富であるとかそんなことはない。
 そんな彼と同室になっているのもまた注目の的である少年だった。
 視えないものが視える知性に溢れたその少年の名はハーデスと言う。
 月を宿したような瞳の色とその真っ白に見える銀の髪色は人を惹き付けた。ただ彼はとても気難しく、その表情はいつだって崩れることはなかった。
 彼の笑った顔など見たことがない。
 あれは冷たい人間だ、怒らせたらきっと恐ろしいに違いない。学生の中でもそう囁かれ、ミステリアスという印象と冷徹な性格だとアゼムの弟子とはまた正反対な噂が飛び交っていたものだ。そんな二人が同室となれば、水と油できっと意見の論争が絶えないのではないかと思ったが、案外二人にそんな姿は見られなかった。
 しかしアゼムの弟子がよく校内でもハーデスをからかっている姿はよく見る光景だった。その彼に対してハーデスは仮面を被っていてもその眉間の皺は深くなっているのだろう、という表情はなんとなくわかる気がするほどによく怒っては呆れていた。
 それすらも楽しんでいるように、未来のアゼムはよく笑う人だった。
 
 
 夜も更け、寮塔は静まりかえる。
 消灯時間になれば部屋から出ることは禁じられていた。規則正しい生活を学ぶのもこのアカデミアでの習わしだ。
 三日月が窓の外に浮かび、雲は一つもない。
 そんな明かりに横顔が照らし出され、白く輝いているがその頬は紅潮し火照っていた。
「ハーデス、ぁ」
 がつんと頭が後ろの白い壁に当たり、これ以上は後ろに下がることができないことを悟る。伸びてきた広い手が頬を掠めると後頭部を掴んで、俯きそうになる顔を上げさせた。
 ぎしりとベッドが重みで沈む音が妙に静かな部屋に鈍く響く。
 追い詰められた背中は壁の冷たい温度を吸って熱くなるのを中和していくが、それはもう無駄だった。
 二段ベッドの下の段はハーデスが使っている。倒れる込むようにしてハーデスにそのベッドヘ誘われて、狭い長方形の空間に押し込められた。
 二人に身体が触れ合って、ハーデスは彼を壁際へと押しやって自分もベッドに上がり込んだ。
 そのまま彼の唇に自分の唇を押し当てると熱い吐息が重なった。待って、という青い目の少年の声など聞こえないようにハーデスは吐息を奪うように何度も唇を重ねる。
 頬を包む手を掴んでいたが、そんな抵抗に意味はない。彼も次第にその手をハーデスの肩から首へと巻き付けてねだるように唇を開いた。
 はむっ、と柔らかく濡れた膨らみが触れ合って角度を変えて食べた。頬と頬が掠め、短くて熱い息が漏れてそれが鼓動を早くしていく。なんて熱いんだろうか、と膨らんでいく秘密の熱に期待と一緒に恐怖もする。
 誰も知らない、たった二人だけの秘密の時間。
 誰が気難しい魔法の天才と言われるハーデスとアゼムの弟子である天真爛漫な少年が唇を重ねてむつみ合っていることを想像できようか。
 何度もハーデスから唇を押し当てられると彼はゆっくりと前歯を見せて恍惚とした息を吹きかけた。
 名前を囁かれると彼は震える瞼を薄らと開けて薄暗い中に浮かぶ金色の目を見つける。
「口を開けろ」
 そうハーデスの重くて緩やかで艶のある低い声が鼓膜を震わせると、本当にこの声はずるいなと背筋がぞわぞわとした。
 自分と同じ年のはずなのに大人びた容姿や声は自身にはないものだ。最初はそれが羨ましくてどうしたら君みたいになれるんだい?と聞けば、反対にお前はどうしたらそんな破天荒になれるんだ、と飽きられたことをよく覚えている。
 その時は大笑いをしてハーデスの背中を叩いたものだ。
 そんなことを一瞬考えているとハーデスの親指が上唇をなぞり、整った前歯をも撫でた。
 もう一度、口を開けと言われると彼はおずおずとその薄い色の唇を半分開いた。ハーデスの指がその半開きの口の形を確かめるようにぐるりとなぞり歯よりも中へと親指を押し込んだ。
「ふっ、ぅ」
 苦しいわけではないが、彼は眉を顰めて短い睫を震わせた。
 その指が下唇の内部と歯茎の間を何度も摩り、上唇も同じようにして触れる。そのたびに彼は心臓が口から飛び出してしまうかのようなほどに緊張していた。
 焦らすように、ゆっくりと、嬲って食べられてしまいそうと錯覚する。
 ハーデスは彼の縮まる身体へ覆い被さるようにして顔をもっと寄せた。そして親指をもっと中へ入れると彼の濡れた舌へと触れた。
「は、っぁ」
 吐息しか零れなくなった口は閉じることを許されていない。ハーデスの指がそうさせなかった。
 またねっとりと名前を呼ばれると、空のように青い瞳は色を変えた。海のような深くて強い青色に。
 欲情したその色にハーデスは喉を鳴らした。それは瞳だけではなく彼の身体に宿る魂にさえに自分は欲情しているのだ。
 時には真っ青な雲一つない清々しい色をしていたと思ったら情熱に燃える太陽のごとく燦々と照らされた色と様々にこの男の魂は色を変える。
 いろんな混ざりあった色が瞳を通してこちらに訴えかけるのだ。今の色を。
 それを捉える金色の双眸もまたその色を見つけ、体内に染み込んでいく。この目には人には視えないもの、魂の色が視える。それを別に特別だとも異質だとも思っていない。ただ人より視えるものが多いだけ、と。
 しかし彼に出会ってからどうだろうか。
 普通、人は一つの色しか持たないというのに彼にはたくさんの色があったのだ。
 自分の目はきっと彼を見つけるために授かったのではないだろうかと、錯覚するほどにその出会いは強烈だったのを覚えている。
 ハーデスはこじ開けたその唇に自分の唇をまた重ねるとぬるっと舌を突き出して彼の口腔へとねじ込んだ。
「っぁ、んん」
 生温かいその感触に彼は肩を大きく揺らし、ハーデスの二の腕を強く掴んだ。舌がまるで蛇のようにくねくねと蠢いて舌先で自分の舌の表面をつついてきてそのまま擦られると、もう一度身体が大きく震えた。
 逃げたくてもこれ以上後ろに下がることは出来ないし、ハーデスの足が馬乗りになりしっかり逃がさないように彼の足を挟んでいる。
 ぎゅっと閉じた瞼の中は暗くて、口の中にいるハーデスの舌の動きを想像してしまう。
 前歯をなぞり、喉奥の内壁を強く擦っていき、怯える自分の舌を捕まえると円を描くように絡ませてくる。触れ合う唇と舌が奏でる音は卑猥だ。生温く湿った音が繰り返し自分たちの口から零れている。
 お互いの言葉ではなくくぐもった喘ぎと吐息、そして濡れた唾液の音が耳をも侵していく。
 一度呼吸をするために口が離れると冷たい酸素が喉を下っていく。しかしすぐにまたハーデスが唇を塞いで舌を偲ばせた。
 舌で舌の表面と擦り合わせるざらざらとしていて、さらに吸われると身体の芯がぎゅっと熱く滾っていく。吸いきれない唾液が顎から首元へと筋になって零れていく。
 何度も何度も熱く濡れた唇に食まれ、時折ハーデスの指が耳たぶを弾くともう中心の熱は限界までに膨らんで破裂してしまいそうだった。それはハーデスも一緒だろうか、と薄らと目を開ければ目と目があってしまい、彼は頬をさらに紅潮させた。
 くらくらと目眩が起きそうなほどに陶酔しておかしくなりそうだ、と目の前に蜃気楼でも舞っているような気分だ。
 美しい瞳に捕食されて、自分はもうどろどろに溶けてしまっているのではないだろうか。そんな気分になって、急に恥ずかしくなった。
「はぁ、はっ、ぅ」
 離れた唇からは呻いた声を出して、彼は前髪で目を覆い隠すように俯いたがすぐにハーデスの手が顔を上げさせる。今度は優しく啄むようにキスをして、この先の行為を求めるようにハーデスが頬から首筋へと唇を這わせると、身体は思わず萎縮してしまう。彼の手が腹を摩り降りてその昂ぶりをそっと触れると、思わず引きつった声が出てしまった。
 その羞恥で染まった顔をハーデスは見逃すまいとじっと見つめている。
 ハーデスが自分を見る目は何を求めてるのか知っている。それが脳裏に過ぎるとサッと熱が引いてしまい動揺が顕になってしまった。
「ハーデス、待っ、た」
 首を振ってその手を緩く掴む。熱にうなされたその声はうわずってしまう。
 それを見ていたハーデスは短い息を吐いて、彼の首筋に顔を埋めてやんわりと名前を呼んだ。
「・・・・・・まだ、だめか?」
 その声は落胆や焦りというものではなく、穏やかな優しい問いだった。
 まだだめか?という質問は今日始まったわけではない。落ち着かない呼吸の中で、彼は戸惑うように視線を彷徨わせる。
 だめではない、と言いたかったがやはり今日もまだ怖い、という先に進むことをこの自分が戸惑っていることに彼自身が落胆していた。
 キス以上のことができない、と。
 もっと触れてほしくてたまらないのに、その先を考えるとキス以上のとっておきの愛情があるかもしれないのに、先にある感情は怖い、だったのだ。ハーデスはその彼の気持ちを急くことはなく、彼自身からして欲しいと言葉にするまではそれ以上のことをしなかった。
 まだだめか?と聞くがそれはせっかちなわけではない。嫌ならそれ以上はしない、と約束したからだ。
 彼は涙を溜めながら、頷いているのかそうではないのか曖昧でぎこちない動きでハーデスの腕をまた強く掴んだ。
「・・・・・・ごめん」
 ここから進んでもっと触れて、重ね合ったらと考えると心臓がばくばくと鳴り出すと同時これ以上、身体の中にある知らない感情が爆発してしまうのが恐ろしいとも思う。
 ハーデスは彼の頭を抱え、撫でると囁くように言った。
「謝ることではないだろ」
「だって、そうじゃないか。君は、キス以上のことしたいだろ?」
 そう顔を赤らめたまま言うとハーデスは目を狼狽させて、頬を少し赤くした。子供という年ではないのだからキスの次に何をしてどうしたいのかはわかっている。それが男同士だとしても愛情表現は一緒だ。
 好きな人と繋がりたい、と。
「お前が嫌なことはしない、それだけだ」
 そう言って軽く頬に口づけてそのまま抱き寄せた。温かくて心音が重なると、それは優しくて気持ちが安らぐ温度だった。
 彼はハーデスの背中に手を回すと、大切にされていることに安堵する。
「君とのキスは気持ちがいいから、好きだな」
 こんなキスは初めてだよと笑えばハーデスは抱き寄せた身体を離して顔を覗き込んで額を寄せた。
「ほう、ならば飽きるまでしてやるか」
 彼の横顔にかかる銀色の髪が頬をくすぐるとまた少年は明朗に笑う。
「そんなにされたら窒息するかも」
 ケラケラと笑って頬を包み、ハーデスは何度目かになるキスをする。すっかり乾いた唇だったが触れ合えばまた火照り湿った。
 彼はハーデス、と名前を呼んで自分から唇を寄せる。
「君とキスしただけでいっぱいになるのにこれ以上されたら俺はおかしくなるに違いない。それが怖いなぁ」
 知りたいけど、その快楽を覗いてみたいけどまだ知りたくないというわがままな欲望だなと彼は内心でごちて自嘲する。ハーデスは片眉を上げてほくそ笑む。
「アゼムの弟子に怖いものがあるなんて聞いたらみんな驚くぞ」
 そう言いながら舌を出して唇を舐めればまた彼から艶めかしい嘆息が零れ落ちる。
「・・・・・・からかうなよ、本当のことなんだから。それにたくさん君とキスだけする時間が今はとても好きだな」
 この先に進むのは恥ずかしいや怖いというわりにはけろりとこちら側が思わず恥ずかしくなる言葉を彼はいつも言ってくるのだから質が悪いとハーデスは思わず苦笑する。
 惚れた弱みなのか彼がこれ以上を望まないなら今はまだ歩みを止めよう。
 なに、我々に永久にも近い時間があるのだ。いくらでも育める時間はあるのだから。
 月明かりに照らされた輪郭はとても綺麗でとても愛おしいな、と少年はハーデスのことを想った。この先、どれだけでも、どんな時もこの人の隣にいることが出来ればいいなとその手に指先を絡めた。
 彼の要求にハーデスは思わず呆れた笑みを浮かべて顔を寄せる。
「お前には敵わんよ。お前がそう言うならいくらでもしてやるさ」
 蕩けて溶けてわけがわからなくなるぐらいに熱い口づけを。
 夜はまだ明けないのだから。
 

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