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凪ぐ色、混ざり合う色

好きな人と過ごす時間とは何よりの幸せである、と柄にもないことを心地よい春うららかな陽気の中で思う。
 厳しい雪の降る季節も過ぎると木々たちは太陽の温かさに導かれて新緑の芽を枝に付け始める。その色はだんだんと大きく茂り、鮮やかで淡い色の花を咲かす。それが満開に咲いたアーモロートのメインストリートはまた一段と圧巻で気分は上々だ。
 これはなんの花ですか?と聞かれ、彼は意気揚々と桜というらしい、とその教わった受け売りの知識を披露した。
 最近創造された樹木らしいがその花の命は数週間と短いものだ。
 それもまた美しさというものだと、創造した者は惚れ惚れと青空に咲き誇るピンク色の小さな花を見上げて満足そうだった。
 太陽の日差しを浴びながらアゼムは鼻歌を歌う。これは確か先日出向いた先で教えてもらった伝統的な歌だ。そのリズムがたいそう気に入り、つい気分が良いと口ずさんでしまった。こんな日はこのまま転がって昼寝でもしたいものだと、一人で笑った。
「そうだ」
 軽快だった足取りと急に止めると聳え立つ建造物を見上げる。
 先端が曲がりくねった建物や天まで届いているんじゃないかという雲に霞んでいるものなど、アーモロートにはいくつもの荘厳な景色があった。その中の一つを目指してアゼムは走った。
 走ると体温が上がり息もはっはっ、と乱れてくる。それでも彼は春を纏う街並みに酔いながら走った。
 目的の建物まで来ると扉を開けて螺旋階段を上がる。途中の階で、やあアゼム様と声を掛けられて手を振る。最上階まで一気駆け上がるとアゼムはその最後の大きな扉を勢いよく開けて外に飛び出した。すぐに眩しい太陽の光が仮面の奥の目を焼くように入ってきて、アゼムはその場に息を切らして膝を折って前のめりに倒れ込んだ。
 さすがに何十階というビルの駆け上がると身体が悲鳴を上げるらしい。
「おい、何してるんだ」
 その時、この場にはいないはずの声がしてアゼムは顔を上げた。
 その先には自分の見知った友人が一人、長いベンチに座っていた。
「エメトセルク!」
 息切れした声で彼の名前を呼ぶと、エメトセルクはため息を吐いてもう一度何をしているんだお前は、と呆れる。
 この建物の最上階にあるものはたった一つのベンチだ。それを置いたのはアゼムではなく、意外にもエメトセルクの方だった。
 アゼムは笑う膝を奮い立たせて、エメトセルクに向かってよろよろと歩き出した。
「まさか先客がいるとは思わなかったよ」
「別にここはお前の特等席ではないだろう」
 エメトセルクは座りながら赤い仮面の中の瞳をアゼムに向ける。手元には読みかけている本があった。
 アゼムは歩きながら彼と同じ色をした仮面を外して、前髪をくしゃりと掴んだ。
「君の特等席、と言うことは俺の特等席でもある」
 にかっと白い歯を見せて笑うアゼムにエメトセルクは本と閉じてまた息を吐いた。
 ここは元々エメトセルクが気に入っている場所だ。何をするでもなく、なんとなくここから見えるアーモロートの景色は自分の中で絶景だった。
 見下ろせる街並みは色鮮やかで、四季が変わればその色は様々に変化する。行き交う人、談笑し論争に熱が入る人々の姿が一望できた。
 自分を見下ろすものは青い空だけだ。
 その中にたった一つのベンチだけを置いた。
 そんな場所への扉は誰でも入れるわけではない。知っている者だけがその扉を見つけることが出来、入ることができる秘密の場所だ。
 ここに入ることを許しているからにはアゼムにそう言われても仕方のないことかもしれない。太陽の熱がアゼムに降り注ぐとその視える魂も燦々と輝いているのを視て、この男はどこでも変わらず眩しい男だとどこか嬉しそうにエメトセルクは口元を緩めた。
「隣、座っても?」
「勝手にしろ。厭だと言ってもお前はそうするんだろう?」
 ふん、と鼻で笑い空いている隣を目配せする。
 アゼムは嬉々としてエメトセルクの隣に腰をおろすと両腕を高くあげて背中を伸ばした。
「君、桜は見たかい?さっき散歩をしてたんだけどこの桜の色を上から見たらさぞかし綺麗なんだろうなと思ってさ」
 ここからの眺めならよりいっそうに綺麗に違いない、と思い立ったのだとアゼムは早口でしゃべる。エメトセルクも似たような目的でここにきていた。
 下で見る景色も良いが心地よい風に吹かれながら眺める春の訪れもこの季節も楽しみだ。
「そしたら君がいた。もしかしてさぼりかい?」
 アゼムはこつんと肩でエメトセルクの肩を突いた。
「お前と一緒にするな」
 エメトセルクはそう一瞥してアゼムの肩を突き返す。
 アゼムはよく事務仕事は向いていないと言って報告書の提出を後回しにする悪い癖がある。それを後ろから監視してやらないと逃げ出すことをエメトセルクは嫌と言うほど知っている。
 アゼムは座った場所から見える街並みに感嘆する。
 その横顔をエメトセルクは仮面の中から金色の目を細めて眺めてしまうと、ふいにアゼムが彼を見上げた。
「なんだい?」
 そう言って首を傾げるとエメトセルクは慌ててなんでもないと言って視線を逸らした。
 触れたい、なんて思ってしまったなんて言えるわけがないだろうと内心の芽生えた欲を掻き消そうとエメトセルクもピンク色に染まった並木道へと視線を移す。
 するとその時アゼムは急にいいことを思いついたと閃いてエメトセルクの膝の上に頭を乗せて寝転んでしまった。
「おい、アゼム──っ」
 その突然の行動に驚いたエメトセルクが声を上げる。
 アゼムは笑って、いいだろ?とエメトセルクを見上げた。
「せっかくの昼寝場所は君の膝枕がいい」
「お前な」
 エメトセルクは額に手をあてて首を振って呆れた息を吐き出すが、アゼムはそこから動こうとはしなかった。
「減るもんじゃないんだ」
 こうして膝を貸してくれていたって不都合が起こるわけじゃないだろうというアゼムの顔は眩くて綺麗な青い瞳は自分だけを見ていた。
「そういう問題じゃない、まったく」
 エメトセルクはいつだってアゼムの行動に折れるしかないが、決してそれは嫌だとか無理矢理というわけではなかった。確かに押し切られることはあるがエメトセルクだってそうしてアゼムが自分を特別だと思ってくれていることは嬉しいことだった。
 アゼムは瞳を閉じてあくびをするとそのまま本当に寝ようとしている。
(まったく人の気も知らないで)
 しかしこの陽気な天気であれば眠気を誘われても仕方のないことだろう。エメトセルク自身もよく木蔭で昼寝をすることがあった。
 赤い仮面に手を取り、ゆっくりと外した。
 頬に触れる空気はどこか冷たくて気持ち良い。
「アゼム」
 エメトセルクはアゼムの跳ねっ返る茶色の髪を撫でて頬を摩った。そうするとアゼムの肩が小さく揺れる。もう一度アゼム、と少し声を重たく落として名前を呼べばその閉じた瞼の中からラピスラズリの宝石がエメトセルクを捉えた。
 この無防備に人の膝で寝ようとしている男に対して怒るつもりは更々ない。ただそんな風に当たり前のように距離を詰めて接せられると調子が狂い、さっきまでは思わなかった感触がつい欲しくなってしまうのだ。
 アゼムはさすがに怒られるかもしれない、と思っていたがそれは間違いだった。金色のその色と混ざり合った瞳の色彩は二人にしか出来ない色になっていて、アゼムは一瞬心臓の音が止まってしまった。
 エメトセルクはアゼムへと覆いかぶさるように背中を曲げると茫然と半開きになっている唇に自分の唇を軽く押し当てた。アゼムはその感触とキスをされたことを頭が理解すると一瞬にして耳まで真っ赤にする。彼が外で大胆な行動をすることなど一度もなかったからだ。
 いや、ここは外と言っても誰も見ている人なんていない。
 ここには二人っきり。
 そのうぶな反応にエメトセルクは咽を震わせて楽しそうに笑った。自分が優位に立っていると思っても、彼はそれをすぐにひっくり返してしまう。いつの間にか組み敷かれているのはいつだってアゼムだった。
 アゼムは身体を起こそうとしてもエメトセルクの視線が絡まって見下ろされたまま、動けなかった。
 高鳴る鼓動は早くなって身体を熱くする。エメトセルクの指先に触れられた頬からだんだんと波になって疼き始める。
 もっとエメトセルクから触られたい、と欲しくなる。
 ふわりと大きな風が凪いで自分たちの周りを踊った。
「エメトセルク」
 アゼムは震えた声で名前を呼んでこう言った。
 その声は恥ずかしそうに、意図する期待をもって。
「……君の部屋に行っても?」

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