
キミを待つ人
窓の外を見て、ヒュトロダエウスは両目にはまっているその薄紫の宝石を輝かせた。
ワタシの目は特別でね、と大概の初対面の人には話すようにしている。幼い頃からの友も似た目を持つ者同士だったが彼は自分の目が良いことを他人に話したがらなかった。
それはどうでもいいことだし、知ったところで私たちの何がわかるんだ、と一瞥する。
それもそうだろう。
この瞳がもたらすものが良いことばかりではない。人は他人と違うことを恐れる。それがもし自分よりより強く優れたものであれば妬みもするし嫌われたり、気持ち悪いとも思うだろう。
それをわざわざ口にしなくても生きていられるだろう、と彼は言う。だがヒュトロダエウスはそれをわざわざわざ言葉にすることによって相手の目と心理を見ていた。
この人はどう思うのだろうか、いぶかしげに思うのかそれとも興味か恐怖か。そんな観察にも似た気持ちだった。みんな最初は便利だと思うだろうが、次第に見透かされている気持ちもなってくるのか離れていく人も少なからずいた。
この星に住む者はさもしい争いも差別もない。ただ平穏に誰もが星に導かれ、星のために長い生を謳歌しているが誰一人同じ色の魂をもって生まれるわけではない。ならばその個人の思考というものは自由であり勝手であり思い思いだ。それを縛ることは決してしないのもまた一つの命だ。
すべてが廻っているからこそ星は健全であり、人々もまたこの大地に息づくものである。 人が思考をし、星をよくするために生きることこそが前提としてあればこの世界は平穏だといえるだろう。その中で、ただその色が見えるだけであって心を読めるわけではないのに人はまるでそうだと勘違いするのだろう。
たった二人を除いて。
同じ目を持つ古き友人、エメトセルクと出会った時からアゼムの座に就くことを約束されていた青年の二人だけは違っていた。
ヒュトロダエウスは冷たい風が窓を叩いてくる音を聞いて、もっていた羽ペンを置いた。「そろそろかな」
そう言って両腕を天井に向かって伸ばし、椅子から立ち上がると上着とマフラーを巻いて執務室から抜け出した。局長である自分がまだ執務時間だというのに抜け出している、ということがバレたらきっと部下に怒られるだろう。
いやむしろ呆れられているかもしれないな、と一人で笑った。これが初めてのことではないのだから。
長い階段を軽い足取りで降りていくと管理局の大きな扉をこっそり開ける。幸い受け付けには誰もいなかったのが好都合だった。
扉を開けると刺すような冷たい空気が頬を撫で、ヒュトロダエウスのラベンダー色の三つ編みの髪を後ろへと靡かせる。
「寒くなったなぁ」と、つぶやいて肩をぶるりと震わせ、遠く澄んだ白っぽい青空を見上げ視線を街の正門へと向けた。
帰ってきた、とヒュトロダエウスは浮き立つ心に素直に嬉しくなって早足で歩き出した。 だんだんと近づいてくるその温かい太陽の色は濃く、自分を照らしていると勘違いしてしまいそうなほど眩い。
まるでもう一つの地上の太陽だ。
七色のように輝くその魂に出会った時はとても驚いた。こんな不思議な色を一度も見たこともなければ、今後も視ることはないだろう素晴らしい色だった。
元々はそうした興味本位からその少年に「やぁ」と声を掛けたものだ。友人はやめておけ、と渋い顔をしていたが彼だって彼に惹かれていたのは間違いない。
よく視えてしまうと、その色がこのアーモロートに帰ってくるたびにヒュトロダエウスは敏感に捉えることができた。そのせいかいつだって彼が一番にただいまを言う相手はヒュトロダエウスだと決まっていた。
歩く道の木々が風に揺れて落ち葉を何度も何度も落としている。真っ赤に染まった葉や黄色に染まった葉が重なって踊りながら宙を舞って石畳の道へと色とりどりの絨毯を作った。
これはきっと創造魔法では創ることのできない落ち葉の道だろう。グラデーションのように重なった色たちがとても美しく、つい見とれてしまう季節の風景だった。
ヒュトロダエウスはこつこつと靴を鳴らしながら歩き続けていくと、反対から急ぎ足でやってくる影が一つ見えるようになってきた。
ああ、と白い仮面の奥で優しく目を細めるとだんだんと大きくなってくるその影に向かって手を振った。
その姿に気がついたのはヒュトロダエウスだけではない。走ってくる彼もまた手を振って答えた。
「ヒュトロダエウス!」
彼はリュックの紐をしっかりと握り、さらに足を速めてヒュトロダエウスの元に走る。
「おかえり、アゼム。今回も長い旅だったね」
駆けてきた青年、アゼムに向かってヒュトロダエウスは微笑みかける。彼がアーモロートを旅立ってからまたどれぐらい経っただろうか。確か季節はもっと暖かかった気がした。 アゼムは息を切らして、ただいま、とはつらつとした声で笑った。その顔につけた仮面は赤く、十四人委員会の一員である証だ。
「今回の旅も楽しかったかい?どんな出会いがあったのかな?あれ、また怪我をしているのかい?早く医務院に行って看てもらってね。そうしないともう一人の友人に見つかると叱られちゃうからね、それから報告にも行かないとさらに怒られちゃう」
たたみかけるようにアゼムのボロボロになったローブと頬に貼られた絆創膏や手の甲についたひっかき傷を見て、ヒュトロダエウスは早口でそう言った。アゼムはその彼の言葉に笑って、
「ヒュトロダエウス、俺まだ帰ってきたばかりなんだよ。そんなに一気に言われてもどれを最初にすればいい?」
と、肩を竦めて白い歯を見せた。
「ああ、ごめんね。キミに会えるのを楽しみにしていたからね」
まずは傷の手当てからだね、とヒュトロダエウスは頷く。
はらはらと待った落ち葉がアゼムの髪に落ちると、その葉をヒュトロダエウスは掬った。「キミがいない間にすっかり秋も終わりになってしまったよ」
二人で並木道から覗くことができる空は薄い青色で静かだった。
アゼムはその空を見上げて、そうだね、とまた笑った。
「やっぱりヒュトロダエウスの目はすごいな」
「どうして?」
「こうして俺が帰ってくると一番におかえりと言ってくれるだろ?いつもそうだ」
そんなに視えるものなんだな、と感心した声で言った。一度もそれが覆ったことはない。アーモロートに足を踏み入れれば、必ず最初に飛び込んでくる人はヒュトロダエウスだ。
いつだってどんな日だって彼は自分を待っていてくれる。
「ワタシの特権だからね、帰ってきたキミに最初におかえりを言うことは」
「ははっ、俺も一番にただいまを言うのはいつだって君だね。ありがとうヒュトロー」
ダエウス、と続けようとした名前をアゼムは我慢できなかったくしゃみが遮ってしまった。
くしゅん!と大きく吐きだして、鼻をすするとヒュトロダエウスは笑って首に巻いていたマフラーをアゼムの寒そうな首へと巻いてあげた。
人肌で温かくなったマフラーは想像以上に優しいぬくもりだ。
「もうすっかり寒くなってしまったからね」
キミが旅に出た時はマフラーなんていらなかったから、とヒュトロダエウスは続けた。
「ありがとう、ヒュトロダエウス」
すん、と鼻から息を吸うと紙とインクの香りがした気がしてアゼムはふいに嬉しくなった。その嬉しそうな顔、というか口元を見てヒュトロダエウスは、嬉しそうだね、と首を傾げる。
「久しぶりに見る友の顔が元気そうで、嬉しいんだ。早くエメトセルクにも会いたいな」
変わらない友の顔、そして街の風景はとっておきのご褒美だ、とアゼムは白い息を吐いて告げる。
ヒュトロダウエウスはその生き生きとして、どこまでも届いてしまいそうなそのまっすぐな声に体の芯がぽかぽかとしてくるような、そんな錯覚をした。
「ワタシも、最愛の友が今回も無事に旅を終えたことに安堵しているよ。改めておかえり、アゼム」
ワタシはこうして彼らを見守ることしかできない。ワタシはそれでよいと、背中を見守り押す役割を担い帰ってくる彼を一番に迎えいれることをいつでも嬉しく思う。
これはワタシだけの、唯一誇れることだ。
最良の友を人生の中で二人も持てたことを、ワタシは生涯忘れないだろう。
「さぁ、アゼム、みんながキミの帰りを待っているよ」
