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きれいなものばかり光る世界だから

「えっ、ワタシがですか?」
 そう素っ頓狂な声をあげてしまうと、師である人はしゃがれた声で笑ったのを覚えている。
 それはアカデミアも卒業し、創造物管理局で働きだしてから何年も経ってからの話だ。 
 どんなところで働いてみようかな、と思った時に毎日刺激がある面白いところで働きたいなと思ったのがきっかけだ。
 ワタシは変わったこと、楽しいことが好きだった。創造物を管理する、という場所はいつだって不思議にあふれていてやりがいがあった。一人で創り出す創造魔法には限界がある。それをこの局は共有し、貸し出すこともできる頼もしい場所だ。たくさんの創造されたイデアという魔法が具現化され、持ち寄られる。そしてその創造魔法が正しいものか、この世界で一つの個として認められるかの判断もしていた。
 その創られた命やもの、というものをワタシたちが是非を下し、そのまま形を成していられるのかそれとも大きな波に還っていくのかを決めてしまうということは誰でもできるわけではない。
 ただ楽しい、面白い、ということだけではその職は重く、離れていく職員も中にはいた。
 だがヒュトロダエウスはますますこの職を好きになっていったし、たくさんのイデアに触れてひとつひとつヒトが創りだした叡智の結晶を感じることは、この上ない天職だと思っている。
 ワタシは決して魔法がうまく使えるわけではない。そんなワタシができることを言えば、こうした創造を褒めて形に残すことだ。
 ワタシの眼は特別で、人にが視えない色がみえる。それは小さい頃からで遠くにいる人を探すこともできた。かくれんぼなんてしたときには勝負にならない、と遊んでくれなかったことを覚えている。幼少時代はどうしてだろうか、と悩んだり塞ぎ込んだこともあったが大人になった今ではそれが他人と違うことへの子供ながらの畏怖、というものが理解できるため仕方のないことだと思っている。 
 自分は魔法を扱うことがとてもとても苦手だ。視ることはできても、それを操作することが億劫だ。
 しかしエーテルという人やものがもつ色を視ることができるからこそ、この管理局の仕事が楽しかった。我々の生活にはイデアが欠かせない。このデスクを照らしているランプもそうであれば、娯楽や食事だってなんだって今ではなくてはならないものばかりだ。
 むちゃくちゃなイデアを登録申請してくる人もいれば、より生活を豊かにしていくであろうものもある。
 そうしたものへ最初に触れることができる好奇心と探究心に、ヒュトロダエウスは満足していた。ただそれはいいことばかりではない。
 管理局の局長となってからしばらくしてからのことだ、。愛玩として生み出された創造動物の申請を行っていた時のことだ。それはとても小さな生き物で、大きな耳に長くて細長いしっぽで手のひらに乗ってしまうほど小さなものだった。
「さすがこれはあまりにも短いね」
 視えてしまうせいか、その生き物があとどれぐらいの命なのかを知ってしまう。
 命の実験場のエルピスでは生命としての能力、繁殖と問題がなかったのだろうが、それは非常に長くは生きることのできない生き物だった。
 これではあっという間に動かないものになってしまう。その視える小さな器に入った色の鼓動を視て、ヒュトロダエウスは唸った。「もう一度、やり直した方がいいかもしれないね。創造主にはそう伝えておくてくれるかい」
 そう言って、一枚の用紙を部下へと手渡した。その部下は仮面の中で顔色を曇らして、頷いた。
 ああ、とヒュトロダエウスは手渡した用紙を引っ込めてしまう。
「あの、」
「いいよ、たまにはワタシが直接話をしてこよう」
 創り出した生をもう一度エーテルの波に還す、ということはこの世界では息をするように行われている。それでも失敗であることを突きつけられた人の落胆は言い渡す側としてはいい気分にもならない。
 だからヒュトロダエウスは自ら伝えよう、と笑顔で返した。職員時代はよく渡しに行ったものだ。憤慨する者、落胆する者、いろいろな人がいた。
 星に還るだけで、また零れ落ちるだけ。
 たったそれだけだ。創造される魔法も命もすべてがその輪をぐるぐると回っている。自分たちもその輪から外れることはなく、いつかは廻る。ヒュトロダエウスは一仕事終えて、自室に戻ろうと足を向けた時だった。
「元気にしておったかね、ヒュトロダエウス」
 そう後ろから声を掛けられて、足を止めた。
 赤い仮面をつけた一人の老人が彼に向かって優しく微笑んでおり、ヒュトロダエウスは口元を緩めて、「お久しぶりです」と親しみを込めて頭を下げた。
 この赤い仮面は第三の座であるエメトセルクを意味している。その座がヒュトロダエウスを訪ねてくるなんて何十年ぶりだろうか。
 アカデミア時代ではよく友であるハーデスと供に師としてお世話にもなっていたため、こうして会えたことを素直に喜んでいた。
「君はここで順風満帆のようだね」
「はい、ワタシにはあっていたようで。毎日とても興味深い日々を送っていますよ」
 友であるハーデスはこのエメトセルクの下で働いている。彼の目も同じように視えないものを視える能力を有していた。その力のおかげで冥界、エーテル界を統べる座であるエメトセルクからはめをかけられていた。
「今日は君に一つ話があってのう」
 エメトセルク顎から生えた立派な白い髭を摩りながらヒュトロダエウスに言った。
「なんでしょう」
 ヒュトロダエウスはもう離れてしまっている自分に何の用だろうか、と少し首をかしげた。
「ヒュトロダエウス、次代のエメトセルクの座を継いでくれないかね」
 それはあまりにも突拍子もない発言だった。
「はい?」
 思わずその問いに声がうわずってしまう。立ち話でするような内容ではないとわかっていながらも、エメトセルクは続けた。
「そろそろ私にできることも限られてきているというもの。星に還ろうかと思っておってね」
 座を譲る、ということは星に還るということ。長年その座に座ってきたが、この老人はその座を次の世代に託そうと決めたのだ。
 次代を決めるのは決まって指名だ。
 誰もがなれるわけでもないし、選ばれるわけでもない。たった一人選ばれることはこの上ない光栄なことであり断る者などいないだろう。そもそももう現在の座である者が、還る前にその人物を育てているというもので、次代はもう決心がついているというものだ。
 そんな話をまさか自分にされるとは思っていなかったヒュトロダエウスは口が開いたままになってしまい、しばらくして口が渇いていることに気がついてハッとした。
「それは、ハーデスが受け継ぐことがもう決まっているとワタシは思っていましたが……ワタシ、ですか?」
 確かに師としてエメトセルクを慕ってはいたが自分が後継者だとは露も思っていない。というより自分よりももっと相応しい人がいるはずだと思っている。友であるハーデスがそうだ。彼とはそうした話をしたことはないが、ヒュトロダエウスはそうだと勝手に思い込んでいた。それがまさか自分に回ってくる話などと自分でも信じられない。
 エメトセルクは笑うと、ゆっくりと頷く。
「驚かせてしまったようだが、ハーデスももちろん優秀な人材だと思っておるよ。君も同様にね」
「ならばどうしてワタシを?」
 ならばますますハーデスをそうしないのはなぜだろうか、と疑問を浮かべる。それもそうだろう、とエメトセルクは枯れた声で笑った。
「君とハーデス、どちらが良い目をもっていうのかということに焦点に当ててみれば君の方が良い目をもっている」
 それは決してハーデスが劣っているというわけではない。
「ハーデスは真面目すぎるのでな、少しぐらい君のように創造物管理局局長を得て座に就くのなら申し分ないだろう」
 ハーデスとの差はそれだけだった。
 お互いが良い目を持ち、遠くまでもエーテルさえも見通すことができ、それはどちらがより優れているか。そして局長という立場。それだけの差だ。確かにそう文字面だけを視ればどちらが十四人委員会に相応しいか、とあればエメトセルクの言う通りだろう。
「それに」
 エメトセルクはさらに付け加えた。
「アゼムの座がハーデスのことを頼りにしているであろう?あれではまともにエメトセルクの座が務まるか心配での」
 そう言って大きく響く声で笑った。
 アゼムは友人の一人で、三人でよくアカデミア時代から悠々自適な仲をずっと長く過ごしている。アゼムはもう先代のアゼムが座に就けることを決めてアーモロートに連れてきたため、彼はもうアゼムになるためのアゼムだった。そんなアゼムは座に就いてからちょくちょくハーデスを自分の仕事で振り回しているようで、それをエメトセルクも知っている。
 ハーデスは嫌だといいながらもアゼムに召喚されては一緒に問題を解決していた。その武勇伝をヒュトロダエウスはよく旅から帰ってきたアゼムから聞かされていた。隣に座るハーデスは非常に不愉快だ、と言わんばかりの顔をしていたがアゼムに巻き込まれていることに対して心底嫌いだと思っているわけではないと、本人より知っているつもりだった。
 あれは満更でもないし、むしろ嬉しいと思っている顔だと、昔から長く一緒にいればそれぐらいの感情は顔見ればすぐにわかってしまう。
 ヒュトロダエウスはそのエメトセルクの発言を思い出して笑ってしまった。
「確かにそれはそのようですね。アゼムはハーデスを誰よりも頼りにしています」
 そして二人は互いが好きだ。そんなことは一番近くにいればわかってしまうというもの。
 それをうらやましい、と思うことがある。
 アゼムが来る前はずっと彼の隣に必然とワタシがいたものだ。
 アゼムはワタシとハーデスの間に突然やってきてストンと真ん中に収まってしまった。
 ハーデスはアゼムのことがなんだかんだ言いつつも好きで、ワタシもアゼムが好きになった。正直に言えば、最初はそうでもなかったかもしれない。
だってハーデスの瞳がもうワタシを見なくなってしまったのだもの、とそうした子供じみた嫉妬だ。気が付けば彼の視線はアゼムばかりだ。
 ハーデスのあの輝く金色はもうワタシではなく、太陽の色を追っていたのだ。ワタシとハーデスの長い友としての間をアゼムは風のようにやってきて奪ってしまった。
 唯一無二である目をもった二人。
たった二人でしかわからない気持ちを抱えていたはずなのに、すっと彼はワタシから離れていってしまった。
 悩みを分かち合い、大人になっても隣で肩を並べていたのに唐突にアゼムはそこにやってきた。
 けれど、だけど、そうした焦燥を抱きながらアゼムに奪われたのはハーデスだけではない。
 ワタシもその一人だった。
 その青年は人を自然と虜にする。その天賦の才をもっているのではないだろうか。不可能なことはない。それは自分が行動しないからだ、と言ってどんなことへでも挑戦していく。
だからこそアゼムの座に就くことが出来るのだろう。そんな彼に惹かれたのはハーデスだけではない。
 気づけば目が彼を追ってしまう。
 波打つその色はいつだって空気を震わせて全身から熱を伝えてくるのだ。
 この魂は綺麗だ。その一言で片付けてしまうのは勿体無いほどに一点の曇りもない。初めて視た時はこんなエーテルを纏った人がいるのかと驚きもした。
 ヒュトロダエウスもアゼムが引き起こす破天荒なことといつも太陽みたい笑う彼から目が離せなくなってしまったのだ。
 自分にはない楽しみ、喜び、そして悲しみも知っている。彼の世界はとても広く、いつだって輝いていた。彼はいつだって彼にしかできないことをしている。
 次は何をするのだろうかと、わくわくする。
 だからハーデスがアゼムに引き寄せられるのも当然だろう。この魂を視ることができるのがワタシとハーデスだけなんて、ああ、なんで人々はこの色が視えないのだろうかと落胆で感嘆してしまう。
 アゼムとハーデスといればこの人生はまた一段階自分を楽しませてくれた。
 ワタシは彼らと過ごせることが世界で一番の幸せだと思っている。
 もし自分がエメトセルクの座に就くことができれば、どうなるのだろうか。エメトセルクの座として十四人委員会の中でアゼムの隣に立つということで、今までも三人の何かが変わってしまうのではないか。
 ハーデスを見るアゼムの瞳をもしかしたら奪えるのではないだろうか?
 ふいにそんなことを考えてしまうとざわざわと気持ちが粟立って自分自身を気持ち悪い、とその感情をくしゃりと紙屑のように丸めて捨てた。
 ヒュトロダエウスは口元に笑みを浮かべて、首を振る。
「いいえ、エメトセルク様。ワタシは今の職場が好きですし、離れる気はないんですよ」
 ワタシにはできません、とさらりと返事をそこでしてしまった。考えることもなく、それはワタシではないと確信して。
 もしエメトセルクの座に就いたとしても、ハーデスもアゼムも喜んでくれるだろうし何も変わらないかもしれないが、ヒュトロダエウスにはとってはその変化は受け入れられなかった。
「ハーデス以外誰が継げましょう」
 エメトセルクの心配事のアゼムなど、ハーデスにはもう生活の一部だ。
「ワタシには向いていませんよ、真面目なハーデスの方が十四人委員会に入るべきです」
 伏せた瞳の色はゆらゆらと柔らかい紫色で揺れている。
「ハーデスがもし嫌だと言ってもワタシから推薦しておきますよ」
 彼は真面目だし、誰かがそう決めたらそう頷く。きっとワタシがエメトルクの座に就くことになってもハーデスは噓偽りなく祝福してくれるだろう。
 面倒事は御免だ、と口癖のように言っている彼からはその座を望まない。
 その謙虚さと実力をひけらかさないのが十四人委員会に相応しいというもの。
 ワタシは今のままが一番落ち着く。このまま二人の帰りを待ち、背中を押す役目を担えばそれで素晴らしい人生の完成だ。
 アゼムの隣にはハーデス。
 ハーデスの隣にはアゼム。
 まるで星から生まれる前に定められた運命のように巡って出会ったのではないだろうかと言う美しい魂たち。
 ワタシはその二人をずっと愛することが出来ればそれ以上は望まない、と心底思っている。誰よりも輝くその魂を視ていることが出来るのはワタシだけの特権だ。それは誰にも真似できないたった唯一のワタシだけの場所。
「それに、彼は穴が開いたバケツに注いでも枯れない魔力を持っていますからね」
 ヒュトロダエウスはそう面白可笑しく笑った。

 

 

 

「どうしてエメトセルクの座を蹴ったんだ?」
 ふと、隣に座る人が聞いた。その表情はいつもより渋い。
 しかし視線の先には子供たちと遊んでいる青年を追っていた。彼らはシャボン玉というイデアで遊んでいる。たくさんの透明な小さな泡を創り出して風に攫われていくと儚く消えてしまう。
「うん?」
「とぼけるな、お前が座を継ぐはずだったんだぞ。お前が私に面倒事を押し付けたことを理解しているのか?」
 はあ、と大きなため息を吐き出して横目で睨みつけると、ヒュトロダエウスはへらへらと笑って、
「ワタシには無理無理、適材適所って言葉があるでしょ?それに従っただけさ」
 と、茶化した。
「いくら目がいいからってワタシは転身も出来ないし、キミほど適任は人なんていないでしょ。それにアゼムもキミがエメトセルクになってくれた方が都合がいいだろうし」
「それはあまりいい意味には聞こえないのは私の気のせいか?」
「うーん、どうだろうね」
「お前な」
「やだな、ワタシは嘘なんて言ってないでしょ?キミはエメトセルクになること、アゼムはアゼムになることが一番のいいことなんだよ」
 ワタシがなるよりももっとそっちの方が幸せだ、とヒュトロダエウスは微笑んだ。

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